志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

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Instagramでもお伝えしたのだが、お道具箱をごそごそいじっていたら、

よくわからない付箋が出てきた。

タモリ」と一言だけ記されたその紙の束は、ダイイング・メッセージのような

神秘的な風合いでございます。

しかも、その3文字が付箋本体ではなく、台紙に書かれているところがポイント。

この人はいったい何を訴えているのだろうか。

 

ひとつ考えられるのは、こいつをタモリ倶楽部などの録画DVDに貼ろうとしたケースである。

何事も整理整頓が大事。

しっかり付箋を施しておけば、ここぞというときに空耳アワーを楽しめる。

でも、そこまで情熱的にあの番組を追いかけているかといえば、そうでもないんだな。

よって、この線は却下。

 

次に想定されるのは、タモリの名言をどうしてもメモっておきたかったというケース。

頻繁に含蓄のある言葉をつぶやくタモさんから何かを学ぼうとした……のか?

だったら、最後までそのセンテンスを記しておきたい。

タモリ」の3文字で満足してしまうなんて、なんとも中途半端だ。

速記のスキルを磨いておくべきだった。

 

もしかすると、困ったときに「タモリ」と唱えれば、すべてが解決するのかもしれない。

タモリタモリタモリタモリ……。

さっきから気合いを入れて口ずさんでおりますが、何も起こらぬ。

夕モソ夕モソ夕モソ夕モソ……。

「ゆうもそ」と読み替えてみても、虚しさだけが残る。

やたらとお腹が空いてくる。

 

なんでもメモする癖も考えものだ。 

部屋をひっくり返せば、まだ何か出てくるかもしれない。 

わけのわからないキーワードほど、グッとくるもの。

未来の自分に向けて、ひと笑いできるネタをばら撒けたらよいなぁ。 

パートタイムラバー

10年以上前に買ったコクヨカドケシを、ようやく使い終えようとしている。

デザイン性に優れ、発売当時はけっこう話題になった消しゴムである。

張り切って手に入れたものの、最後の最後まで使い切ってしまう自信はなく、長らくわが家のお道具箱の中で不遇の時代を過ごしておりました。

 

ある日、思い立って再登板させてみたら、なるほど、スタンダードな消しゴムとは異なった味わい。

使えば使うほど、新鮮な角が出てくるのが楽しい。

一時代を築いたおしゃれオーラがそこはかとなく漂っている。 

……のだが、よく消えるのかといえば、そうでもないんだな。

やはり、ここぞという時に活躍する爽快な消し味が必須。

 

今や最終局面を迎えたその物体は、漂白されたアンモナイトの死骸のごとし。

なめらかに文字を消すことができず、いちいち角が立つ。(カドケシなのに!)

これを成仏させるまで、おれの夏は終わらないぞ。

 

カドケシの末路が見えた今は、数年前のハンズメッセで買った”消しゴムの切り落とし”を愛用しています。

牛肉やカステラと同様に、消しゴム界にもこんなのがあると知り、驚いた驚いた。

これがよく消えるんです。

しかも大量にあって、あと5年は困らないレベル。

 

今後も失敗を恐れずに試行錯誤して、面白いものを発信できたらと思います。

数々の思い出だけは消さないように(どや顔)。

すいすい

9月だっ!

東京は台風一過でド晴天。

僕が一年で二番目に好きな秋に切り替わりました。

ちなみに、一番は新緑の季節です。

 

ほんの数日前まで夏モードだったのに、世間のこの変わりよう。

月見バーガーやら秋味やらのイメージ戦略で攻めてくる節操のなさたるや。

でも、こういうの、嫌いじゃないです。

むりやりシーズンをスイッチングすればいいじゃないか!

 

あと1ヶ月もすれば、コンビニのおでんとかクリームシチューのCMがゴロゴロ

出てくると思う。

そう。それでいいんだ。

あったかいもの、美味しいじゃないか。

日本には四季があるんだ(←だんだんよくわからないことを言っている)。

 

今月はイベント目白押しです。

来月もたぶん、盛りだくさん。

ぽけぽけしている間にクリスマスと正月が来ます。

ようやく、人生ってこういうもんだとわかり始めてきました。

明るく楽しく穏やかに。

 

素晴らしい9月にしますぞ。

とっても大好き

甘い物(近頃はあんこ)が好きなんだが、そうそう食べてばかりもいられない。

意識的に抑えないと、体に悪いことは実証済みなんである。

健康診断やら血液検査を受けるたびにお医者様からお叱りを受けるのは、

まっぴらごめん。

というわけで、今年に入ってから、食生活の改善に努めております。

ひと言で言うと、ダラダラ食べないっ。

 

5月頃から効果が出て、会う人会う人に「痩せたね?」と言われるようになったのだが、あまり実感がなかったというのが本音。

で、さっき体重計に乗ったら、ここ数年で一番いい状態であった。

鏡の前に立ち、へっこんだお腹をさする中年の姿よ。

ここぞというときにのみ甘味を欲するようにしていたら、体内の毒素が抜けたようであります。

やったね。

 

適度な運動(と言ってもウォーキングだが)を続けたのもよかったのかもしれない。

このまま一連のアクションをキープオンすれば、悟空のような体へと変貌するんじゃないかと秘かに期待している。

かめはめ波だって、出せる。

そんなことはないですか。

ないですね。

まぁ、適当にやろうと思います。

 

何事も長続きしないのが、私の弱点。

調子に乗って、まんじゅうを食べ過ぎたりすることのないよう、気をつけねば。

歳も歳なので、体をコントロールする力を磨きたいですな。

気高く生きる!ポイズン!

急襲

セミのことを書いたら、セミ出没率が急上昇した。

とくに、日課のウォーキング時が著しい。

電柱(しかも目の高さ)にへばりついて威嚇する奴もいたし、

自宅階段付近で忍者のごとく声を潜めている者もいた。

行きは仰向け、帰りはうつ伏せというのが人を馬鹿にしている。

その真横を通り抜けようとしたら、ジジジジ飛翔したよ。

僕のおでこ付近でニヤリと笑いながら。

やっぱり、イヤ!

 

これから出かけるが、今日もご丁寧に帰り道を張られてそうだなぁ。

出待ち/入り待ちされてるかのようなプレッシャー。

イカンことはイカンとちゃんとあいつらに教えてやらにゃあ。

聞くセミ、じゃなかった、聞く耳持ってくれないだろうけど。

 

立川談春『赤めだか』、面白いです。

話の運び方が巧み。

これだから上質のエッセイはたまらない。

ぽっくり

昨夜、夕刊を取りに行く際、廊下の隅に松ぼっくりを見つけた。

へぇ、この時期にオツですなー。

でも、不思議だな不思議だなーなどと、ちょっと覗きこんでみると、

ジジジジ叫んだよ松ぼっくりが。

 

私はセミが嫌いなのだ。

とくに、夏休みの終わりの頃のセミが油断ならない。

やつらはベランダの絶妙な位置か玄関開けてすぐのところに転がっていることが多い。

転がり方も巧みで、生きているのか死んでいるのかよくわからないスタイル。

すべてを受け入れたかのようなひっくり返り方が、恐怖を増幅させる。

あれは裏なの?表なの?次元のねじれのようなものを感じてしまうんです。

 

そもそも、鳴き声がいけない。

夏のいち風景と割り切ってしまえばいいものを、あの”擦り合わせた”

ノイズが私をどうにも惑わせる。

なんとかならないものか。

リンリンスイスイ美しい声で鳴かれても、それはそれでいやだが。

 

とにかく、不意打ちは勘弁してほしい。

動くなら動く。止まるなら止まる。

生きる権利までは取り上げないが、騒音は控えてほしい。 

遠い昔、顔面に思いっきりおしっこをかけられたことを思い出しながら、

セミとの共生を考える8月下旬です。

気圧のせいにする

台風まつりである。

家の湿度計は78%にまで達している。

あと22%上昇すれば、ここは水中都市ということになる。

いよいよ我が身がナメクジのたぐいへと変身しそうな勢い。

なんとかピリッとドライに生きなきゃと思う本日です。

 

思えば、台風で学校が休みになるのが大好きな少年だった。

「午前8時までに大雨もしくは暴風警報が出ていたら登校を見合わせましょう」というアレ。

意外と時間ぎりぎりまで判断に迷う場合が多く、神に祈るような気持ちで

サプライズ休日の到来を願ったものでした。

あの頃の願掛けの情熱を取り戻したいです……。

 

もちろん、どんな災害も降ってきてほしくはないのだが、

風がごうごうと鳴るなか、優雅な気分でぼけーっとするのは、いいものだった。

病気やケガのない状態で、合法的に学校を休む。

学校という組織に対して、いまいち愛情を育むことのできなかった僕にとって、

台風は恵みでしかなかった。

いかん。暗い気持ちになってきた。

 

急に時間ができたときこそ、ポジティブに前に進んだほうがいい。

ムダはあっていいんだけど、積極的にムダを作る必要はない。

歳を重ねてきて、ようやくそういうことに気づき始めました。

気づいたのが遅いのか早いのか、今後それが試される局面が来るであろうー。

 

なんだかこのブログも、安物の自己啓発書みたいになってきたなぁと

吹く風の行方を見守りながら綴るのでありました。 

皆さん、ご無事で。