セミが鳴く。
台風がくる。
この時期になると思い出すのは、自由研究。
自由を装った不自由を子供なりに感じていた課題です。
結局は、親同士の競い合いみたいになっていて、ひたすら醜かったと記憶している。
明らかに子供の発想でない作品が、市に表彰されたりして。
あんなミッション、好きだった人はいるんだろうか。
日本の教育の問題点だと思っています。
や、本気ですよ?
毎年、”やらされてる感” を強めていくなかで、なんとか面白く取り組めるように
知恵を絞ってくれたのが祖母である。
バカバカしい宿題に労力をかけずに、最大限バカバカしくあれ。
そんなメッセージが込められていたのかどうかはともかく、祖母のヒントにより、
2, 3の名作が誕生したのは事実。
祖母の家の庭先で増殖したボウフラの行方をひたすら見つめた「カのかんさつ」。
祖母の家に転がっていた急須の取っ手やガチャガチャのカプセルなどを市販のモーターにつなげた「なぞのロボ」。
……等々、リサイクルという概念がまだ浸透していなかった時代に、わりと先進的なことをやっていたんじゃなかろうか。
先生からの評価は冷たいものでしたが、何人かの友達の支持は獲得したような。
そもそも、”自由研究” にどうやって成績をつけるんだろう?
探究心や好奇心って、強制されるものではないし、誰かが測定できるものではないよねぇ。
夏休みの宿題を午前中の涼しいうちにやったり、ましてや、7月に終わらせるなんてこととは無縁の少年時代でした。
蚊に刺されながら惰眠をむさぼり、空想の限りを尽くす。
のびのびと過ごせるうちは、おおらかに生きていていいんじゃないのかねぇ。