JAMIROQUAIの新譜『AUTOMATON』を聴きながら、このブログを書いています。
「え? お前がジャミロクワイ?」って言う人もいるかもしれませんが、僕だって聴くよジャミロクワイぐらい!
「ジャミロクワイぐらい」というフレーズを早口で連発すると、よいアナウンスの訓練になりそうですね。
肝心の作風はといえば、”おしゃれなライトセイバーぶん回し”って感じ。
バボバボ動くベースラインが好みだなぁ。
パーティー仕様? なのか?
自分で言っておきながら、よくわかっていません。
とくに締切に追われていない日は、積ん読状態の本を片っ端からやっつける生活をしています。
買ったはいいけれど、なかなかタイミングが合わずに放置してしまう本って、誰にでもあると思う。
そういう蔵書がおそらく、数百冊単位で、ある。
おそろしいことです。もったいないことです。
生きてるうちに消化できるのかしら。
そんな山のなかから選んだ1冊(正確に言えば全3巻)に、山田風太郎『人間臨終図巻』(徳間文庫)があって、今月はこれに没頭していた。
忍法帖シリーズの、どうかと思うぐらいぶっ飛んだ想像力に心酔している僕ですが、彼がエッセイ寄りのものを書くときの筆致は、いよいよ飄々としていて、素晴らしい。
淡々と語られる古今東西の人間の死にざま(=生きざま)には、学ぶべきところが多々ある。
壮絶な最期、平安な臨終、あっけない終わり……本当に人それぞれで興味深い。
ちなみに、僕が「おぉっ」と思わず声をあげたのは、ファーブル、ラスプーチン、高橋是清あたり。
文庫版第3巻の奥付は、2001年5月初刷となっている。
思い出した。
これ、大学2年の春に友人から薦められて買ったんだった。
「志村、こういうの、好きだと思うよー!」って、明るい声で。
それから15年以上経った今、僕の心を動かしてるんだから、彼女の洞察力はたいしたものだったと思う。
ここに御礼申し上げます。ありがとう。
当時は、死というものを初めて身近に感じた時期だったため、この作品をなんとなく遠ざけていたのだった。
華やかな青春だもの、わざわざ暗い気持ちに浸りたくはなかった。
でも、今回いざ読んでみると、すいすいっと腑に落ちることばかりで、「ああ、おれも成長したんだな。年をとったんだな」と深く息を吐く場面が何度も訪れました。
いやはや、本は買っておくもんだね。
10代20代の頃って、死を語ることや、死そのものへの誘惑が渦巻きがちだけど、あれは一体なんだったのか。
命は大切にしなきゃ。
やっぱり、「死にたい!」とか「殺してやる!」って、軽々しく口にしちゃいけないよ。
何かを呪う暇があるなら、わずかでも自分を高めることですね。
そんなわけで、スペース・カウボーイの志を持つ貴方と私、新年度もヴァーチャル・インサニティの中で頑張りましょう。
と、無理矢理ジャミロクワイに寄せてみた。
生きましょう。