4月だ新年度だ新学期だ。
みんな浮かれております。そして、みんなどこか物憂げなのである。
どんまい。
新緑の季節がきたら、こっちのものだ。
新しい環境に身を置く人も多いことかと思われますが、ここは一発、のらりくらりやりましょう。
ドキドキしすぎず、適度な緊張感を持つことが大事だと思うんです。
かく言う僕も、人の移り変わりの激しいこの時期は、あんまり得意じゃないのですが。
今、髪切ってスッキリしたから、気が大きくなっております。
大きいといえば、ナンシー関である。
って、唐突な展開ですが、昨日読み終えた『文藝別冊 〈増補新版〉ナンシー関』(河出書房新社、2012年)がボリュームたっぷりで面白かった。
消しゴム版画家として、また、コラムニストとして小気味よい作品を遺した彼女は、とにかく懐の広い人だったらしい。
おもしろエピソードの数々を語る友人たちの顔が、今にも紙から出てきそう。
その語り口の温かさから察するに、よほど聖母のような人だったんだろうな、と。
お会いしてみたかった。カラオケご一緒したかった。
90年代当時、中高生だった僕は、彼女のちょっとしたコメントを目にしては「ぶぶっ」と吹き出すとともに、批評精神の芽生えを体感したものです。
ナンシーさん、その頃から大御所感が漂っていただけに、2002年に39歳という若さで亡くなったことが本当に受け入れがたい。
今の僕の年齢とそんなに変わらんじゃないか。
なんということだ。
「ナンシー関が今生きていたら、なんて言うかな!」って得意げにツイートする人が結構多いし、僕もたまにそんなこと考えますが、なんだかなぁ。
ファイナル・ファンタジーの召喚獣じゃないんだから、そんなに便利に引っ張り出されても、ナンシーさん困っちゃうんじゃないかな。
どんなに下品な言葉が飛び交おうと、きな臭い空気が立ち込めようと、自分の言葉で考えなきゃね。
強さは優しさで、つまりは大きさだ。
面白い方向にゴロンゴロンと転がっていく4月にしたいと思います。