志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と英語【第5回(最終回)】

 春は語学をスタートさせるにはもってこいの季節。書店にはNHKラジオ講座のテキストなどが平積みされていて、にぎやかなことである。コロナ禍の初年度から、なんとなくフランス語のおさらいを始めたのだ。おさらいといっても、1日10分程度。仕事で日常的に英語脳を使っていることに比べれば、たかが知れている。第二外国語は英語と並行して学習すると効果が高いのだそうだが、今のところ、微妙な感触だ。

 日本の大学では、通例、第二外国語が必須だけれども、僕が通っていた大学は2年生まで徹底して英語漬けだった。第二外国語なんてやってる暇があったら、YOUの英語をなんとかしなさいYOといったアメリカ的抑圧(?)が働いていたのだ。それはそれとして尊い時間だったが、仏独中韓など、日本の大学生が当たり前のように経験している「大学の醍醐味」であるところの語学講座が軽視されているのは、さすがにどうかと思った。

 たしか、3年生の春学期にフランス語初級を、秋学期にドイツ語初級を受講したのだ。まるで出鱈目な向学心だが、ガッツさえあれば興味の赴くままに授業を選択できる点は母校の良いところ。なぜフランス語の中級以上に進まなかったのかと問われれば、まったく相性の合わない先生に当たったのと教科書の選定が超適当だったからなのだ。その点、ドイツ語のクラスはピシッとしていて、教え方も堅実だった。でも、結局、ドイツ語中級以上は受講しなかったわけだから、僕は何事に対しても中途半端なんだろうな。

 院試に必要だから、そして、自分の研究分野に関わりがありそうだからという理由で、第二外国語はフランス語一本に絞り、半年ぐらいアテネ・フランセに通った。これも初級どころか入門クラスでしたが。古風な校舎で地に足のついた講義を受けたことは、今思えば贅沢な経験だった。修士課程のときも、博士課程のときも、試験は辞書持ち込み可だったはずなので、「フランス語ができます!」だなんて口が裂けても言えない。

 ここまで書いてきて気付いたのだが、僕は語学をかじることが結構好きなのかもしれない。フランス語、ドイツ語については、まさに「かじった」レベル。アメリカからの帰国直前の1カ月間だけ、向こうでいうところのミドル・スクールでスペイン語を履修したのも良き思い出。今でも挨拶ぐらいはできるし、「あ、この人は今、スペイン語を話してるな」くらいの耳は持っている。旅行でしか使ったことのないイタリア語に至っっては、レストランでの「お会計をお願いします!」くらいしか言えないのだが、グルーヴが大阪弁に似ていたため、「イケるな……!」と勘違いしたほど。そうです。こんなふうに、「かじる」くらいなら誰にでもできるのである。

 惜しむらくは、大学に籍を置いている間に、ギリシア語、ラテン語ヘブライ語を受講しなかったことだ。せっかく、他大では得難いその道のプロがいらっしゃったのに、ああ時間は取り戻せない。そんなわけで、それなりに頭がはっきりしている年齢のうちに、いろいろと語学をつまみ食いしたいと考えている。このほかにも、ロシア語、中国語、ブルガリア語あたりは「かじり」甲斐があるかな。

 この場で、今の僕の語学に対する意欲を整理すると、こうなる。

【究めたい】英語

【なんとかしたい】フランス語、ドイツ語

【あわよくば】イタリア語、スペイン語

【かじりたい】ギリシア語、ラテン語ヘブライ語、ロシア語、中国語、ブルガリア語 ,etc.

 いったい誰が得するんだろうという分類ではあるが、なんとなく、僕の人となりを物語っているような気がする。まずは英語ができるようになりたいなぁ。いや、できるといえばできるのだが、その精度を高めていかなきゃと思うのだ。実は大学院の約10年間で僕の英語の能力は地に落ち(このことはいつか彼方で説明するかも)、その後10年かけて向上心とプライドを取り戻したという感じ。この連載でも言及したが、ドリームキラーには本当にご用心なのだ。

 かじっては辞め、かじっては辞めを繰り返してきた僕ではあるが、気付けばおっさんに。もういい加減、愚直に物事を究める方向に進まねばと思う。特に方向を定めぬまま綴ってきた本連載、ここで一応の区切りとしよう。不必要に自分語りをしてしまった感じもするが、時にはまあいいでしょう。今まで公に話していなかったことを公開するのって、なんだか風通しが良い。また何か思いついたら書きますね。他に考えられるテーマとしては、「僕と軽音」「僕と楽器」なんかがある。音楽の話ばかりだな。読みたい人はいるのかしら。いなくても書きますけれども。