志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

ぽつりぽつり

 WBCで世間が浮かれている間に、冬の空気はほぼ姿を消し、東京では桜がぶわっと咲くほどになった。ぼんやりしていると、無駄に年をとっていきそう。先日、大江健三郎が亡くなり、ああそういえばと様々なことを思い出した。

 僕は大江の熱心な読者というわけではないし、主要作品(その中でも限られた作品)ぐらいしか読んだことがない。や、威張ることではないけれども。しかし、青春の節目節目で少なからぬ影響を受けたことは確実で、悩み傷ついた僕の前にぬっと現れるのがきまって彼の作品だった。

 たぶん、最初に読んだのは『万延元年のフットボール』。大学の一般教育科目の課題だった、ということは、二十歳の頃に手に取ったのだな。中高生の時点で大江を愛読書に掲げている人だっているくらいなのだから、僕はだいぶ遅い。内容はあいにくほとんど憶えていないが、講談社文芸文庫というサラサラのカバーが付いたバカ高い文庫シリーズの存在を知った、画期的な1冊である。

 死別や失恋を経験し、半ば自暴自棄になっていた頃に友人が教えてくれたのが『空の怪物アグイー』。「君はこれから、”失う旅”に出るんだ」とその友はカッコいい言葉で僕を奮い立たせてくれたが、このフレーズが彼のオリジナルなのかどうかは怪しいところだ。今、唐突に思い出したが、昔懐かしMSNメッセンジャーを通しての会話だったな。うわー、顔から火が出るような甘酸っぱい記憶が次々と……。ちなみに友人は大江が頻繁に使う「セクス」という語のかわいさ(?)を気に入っていたようで、「セクス」とつぶやいてはゲラゲラ笑っていた。セクス、セクス!

 ゼミ合宿(母校には「ゼミ」がないため、これは正式名称ではないが)では『芽むしり仔撃ち』がいかに凄いかという話を先輩方から聞き、年上の圧倒的知識量というものに恐れおののいた。刊行されたばかりの『さようなら、私の本よ!』を評して、「自分の本にもさようならできたら最高だったのにね、アハハ!」と恩師が授業中に皮肉を効かせた場面も忘れられない。

 二十歳前後の頭がポッポしているときに、周囲の人からから教えてもらった本を読む。このことによって、どれだけ多くのものを得たことか。 古書店で手に入れた『小説の方法』(岩波同時代ライブラリー)などはその代表例。大江の視点がなければ、僕はバフチン山口昌男への関心を強めなかったわけだから、かなりお世話になっていますねぇ。

 そういえば、学生時代に「一日限りの電話番」として某テレビ局でバイトをしたことがある。そこで短期バイトをしていた友人の下請けみたいなことだったと思うが、深夜帯に4~5時間、スタッフ控室で本を読みながらダラダラ留守番するという業務。たしか弁当付きで、タクシー券(人生初!)も出た。結局、まったく電話はかかってこなかったのだが、1本だけ内線で伝言を頼まれた。「大江先生入られました!」これをフロアにいる人間たちに言ってこいというのである。僕は廊下を早足で歩き、人の集まるフロアらしき方へ「大江先生入られました!」と声を発した。「あ……はい……(みんな知っていますよ?)」という数人の表情を確認し、今来た道を三倍の速さで戻る僕であった。戦争やテロについて若者と意見を交換する特番だったはず。ご本人にはお会いできたなかったが、貴重な経験ですよねぇ。 

 そんな大江の著作リストを見て、呆然としている。僕は小説というものを読まなさすぎるのだ。幸いにも、まだまだ人生の時間は残されている。年齢に応じた作品との向き合い方ができるはずなので、未読の大江作品を読み進めることをもって余生とします。