志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と大学【第7回】

 3年生の夏から秋にかけて、自分はつくづく「青春」していたと思う。正真正銘のおっさんになった今だからこそ、あの時の眩しさは本物だったんだなと気付く。まあ、死ぬまでにあと何度かスパークしますけどね。これからの道をこそ光らせたいのだ。

 それはともかく、前回の続き。メロユニの定期ライヴを数回重ね、いい感じに調子に乗っていたところへ、もっと大きなステージに立ちたいという欲が出てきた。ICUにもささやかな文化祭がある。例年、10月下旬から11月上旬にかけて、広大なキャンパスが開放され、地域住民、教職員、学生の交流の場となる……のだが、芸能人を呼んだりミスコンが開かれたりといった華やかさとは無縁なのが特徴。そんななか、学食に舞台を設営、プロのPA(吉祥寺のGOK SOUND!)をお招きし、ちゃんとチケット代(500円!)をとって開催のBALL(ボール)こそがメロユニおよび姉妹サークルJFKの年間活動のハイライトなのだ。

 結論から言うと、このBALLのステージに立った者は皆、大いなる勘違いをする。僕は結局、この年1回限りの出演となったが、BALLの舞台の魔に憑かれた者は、その後何度も出たがり精神を発揮することとなり、青春をこじらせるのだ。あの舞台で2、3回演者になってみれば十分だと思うんだがなあ……。そこは人それぞれに事情があるのだろう。

 どうも話が横道に逸れてしまいそうになる。このBALLではメロユニとJFKが各2組のバンドを出すことが通例となっていて、秋学期の始め頃にライヴ音源審査によるオーディションが行われていた。普段は仲の良い人たちが本番数カ月前から政治的思惑をちらつかせて駆け引きするさまは見ものである。特に、夏合宿と9月の定期ライヴでの実演アピールが物を言うようで、普段仲の良い人たちが以下略。

 何はともあれ、厳正なる審査を経て、この年の出演バンドが決定した。JFKからは山下達郎東京スカパラダイスオーケストラ、メロユニからはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTとGUNS N' ROSESの計4組(のコピーバンド)。持ち時間は各バンド40分ほどだっただろうか。一見、ムチャクチャな取り合わせのようだが、なかなかどうして、音楽性云々を超えた若さのカオスがひたすら生々しく、美しいのである。

 僕はGUNS N' ROSESのヴォーカル、アクセル・ローズだった。いや、正確に言うと、コピーバンド「マニア天国」のアクセル・ブレーキを名乗っていた。これ、公に言うのは初めてかも。相当むずがゆい気持ちになりますね。ステージ・ネームは自分で付けた。バンド名はギター氏の発案だった。エロ同人誌のタイトルか何かから適当に採ったんだと思うが、他に「おりこうぱんつ」などの下劣な候補があったため、いちばん一般層に受け入れられやすそうな名前に決めた。

 数あるバンドの中から、なぜガンズを選択したのだろう。これは機会があるたびに語っていることだが、ガンズは僕の人生を変えたバンドでありまして、「あの人(アクセル)になってみたい!」と思った憧れの対象でして……とどうしても話が長くなってしまう。決定的な理由はこの年2003年のサマソニのヘッドライナーがGUNS N' ROSESだったことだ。動くガンズを生まれて初めて拝むという強烈な体験が原動力だったのは間違いない。このサマソニには、数カ月後に「マニア天国」でドラムを叩くことになる親友と共に出かけた。この時の思い出話だけで本1冊分になりそうな気がしてきたので、さっさと次の話題に移ろう(涙目で)。

 ICUの森がすっかり秋の空気に包まれる11月初旬、BALL本番を迎えた。メンバーの見た目はバラバラだったが、ちゃんとスラッシュとバケットヘッドがいたのがミソ。本音を言えば、最愛の「November Rain」をやりたかったけれど、持ち時間やら設備の関係で、短めの曲をたくさんやろうとなったのだと思う。300人(ほんとかな?)の前で僕は歌った。そんな僕の姿が信じられないという、メロユニ入部以前からの友達も何人か観に来てくれた。そりゃビックリだろう。どう考えても、僕はヴォーカルなんてキャラじゃなかったのだから。ここら辺から、「ギャップや意外性によって観る者を驚かせる」という快感に目覚めたような気がする。要するに、自分が生まれ変わったようで、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのだ。人間は、少しの勇気さえあれば、すっかり変貌できる。これは今でも僕を支える思想のひとつと言っていい。

 セットリストは、

1. Welcome To The Jungle

2. It's So Easy

3. Nightrain

4. Don't Cry (Alt. Lyrics)

5. You Could Be Mine

6. Sweet Child O' Mine

7. Paradise City

……だったんじゃないかなあ。5と6が逆だった可能性もある。「志村はあんな声出ないでしょ?」と思ったそこの貴方! 僕、ちゃんとあの声が出たんですよ、高い方も低い方も。そして何より、10代の頃より妄想トレーニングにて培った「アクセルの動き」が完璧だったと評してくださるOBもいた。なにしろ、一世一代の芸(?)だったのだ。下宿のシングルベッドをステージに見立て、「You Could Be Mine」をイメトレした際、最後の「ユゥクッビーマーィン!」の部分で元気よく「すのこ」を踏み抜いたのは良き思い出。

 「アクセル・ブレーキ22歳、彼女いない歴22年。ただいまブレーキ故障中です!」……ドッカーン! (最前列からバナナを1本手渡ししてくる意味不明なメロユニ部員に向かって)「バナナは完全栄養!」……これまたドッカーン! その場の勢いで放つMCが大ウケしたのも肌で感じた。あの頃のステージ上の僕は、迷言生成マシーンと化していた。何が面白かったのかわからないが、僕を散々調子に乗せてくれた友人たちにはいくら感謝してもしきれない。

 今振り返ってみても、BALLのガンズは人生最高の時間のひとつだったと断言できる。僕がご臨終の際、走馬灯のように出てくる映像なのだろう。あの時、一緒にバンドをやってくれたみんな、ありがとう。パフォーマンスを観てくださった方々にも心からの感謝を。こんな経験、そうそうできるものではない。

 たかだか数年間の活動なのに、メロユニでの出来事は濃すぎるくらいで、その後の僕の生き方に大きな影響を及ぼしている。プロを目指そうなどという大それた考えは抱かなかったが、このときの経験は今でも生かされていて、ステージに立つ人の心境や興奮が実によくわかる。そこは「選ばれし者が立つ場所」なのだ。だからこそ、生半可な気持ちで演奏する人に対しては厳しい目で見てしまうし、舞台芸術全般を舐めてかかっている人とは仲良くなれないと思ってしまう。演者であれ、観客であれ、ライヴに対する愛と敬意に満ちた人を応援したくなるのは、こんな背景があるからなのだ。

 あっ、話が大学3年生の秋学期で終わってしまった。 そろそろ真剣に進路や卒論のことを考えないといけない時期か。続きは次回に。

 メロユニから離れて15年ほども経つ。あれから人前で歌うことは滅多になくなった。カラオケにさえも長らく行っていない。アクセルのようなハイトーンはもはや出なくなってしまったことだろう。試してはいないが。