志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

猛チャージ

 梅雨らしい梅雨というのを何年ぶりかで経験している気がする。そうでもないのか。台風も来ているというし、気温・気圧の変化についていけない。頭が痛い。目も悪い。眠い。ネガティヴな要素には事欠かない。

 ワールドカップが盛り上がりをみせていて、僕もNHK ONEの「2分ハイライト」を駆使して、まるで全試合観たかのような顔で生きている。一応、今のところの日本の2試合はほぼフルタイムで観ているから、許してください。いや、別に許されなくてもいいのだが、熱狂せずに「微熱で観る」という姿勢も大事かと思う。印象に残るゴールがすでに多く出ているが、やはりノルウェーのハーランド推しでいこう。ドルトムント時代から彼に注目していたことが秘かな自慢。デカい体でめちゃくちゃ速く走る姿が見どころなのよ。周りのものを全部なぎ倒す勢いが素晴らしい。

 ところで、サッカーの話題をしたいのではなかった。今日は自動改札機のお話。フリーランスの身でありながら、週の半分は通いの仕事もしているわけだが、通勤・通学ラッシュ時にさまざまな人間模様に遭遇するのである。都心の駅構内の人の流れというのは想像を絶するもので、大阪で電車通学していた立場としても、恐ろしさを感じてしまう。要するに、人間の進行方向が強制されるわけだ。東京は人が集まりすぎている。

 そんな整然と進まねばならぬ道で、往々にして事故が起こるのだ。「ピンポーン」と高らかに音が鳴ったかと思えば、通せんぼ。その人の背後の3人ぐらいが「だるまさんが転んだ」の体勢でストップせざるを得なくなる。たいていチャージ金額が足りていないことが原因だが「おかしいな? 私じゃありませんよ」みたいな涼しい顔をして、もう一度タッチする。追いがつおならぬ「追いピンポン」である。自分もそういう失敗をしたことがあるので、あまり強く言いたくないのだが、最近の人(老若男女問わず)はけっこう厚かましい。後ろの人たちに謝れとは言わんが、せめて「すまないね……」といった表情はしてほしいものだ。

 僕はいまだにカードタイプのSuicaを便利に利用しているのだが、スマホで改札を通る人が急増して、モヤモヤ。仕組みがよくわかっていないのだけれど、スマホの先端部を改札機にグリグリッと押し付ける御仁が多いのだ。だいたい皆、機嫌悪そうにグリグリッである。まあ、あの一連の動作をにこやかにやられても困るが、もうちょっとなんとかならないものか。

 ある日、僕の前方の女性が上半身ごと改札機に沈み込んだ。そして、次の瞬間には何事もなかったかのようにスタスタと歩いていった。僕の視点からすれば、右ピッチャーの投げるシンカーの球筋。全盛期の潮崎(西武)を彷彿とさせる軌道の正体は左腕にはめたスマートウォッチだった。つまり、彼女は右側の改札機に左側から文明の利器を押し当てる動作をしていたわけだ。この時は十分にチャージされていたものの、金額が足りなかったり、機械の不具合が生じたりした時、彼女の「沈み込み」が無駄になるかと思うと、胸がドキドキしてくる。

 6月26日朝8時より、日本対スウェーデン戦開始である。僕は運よく在宅作業中だが、この時間帯に通勤・通学される方々の多くは気が気でないだろう。ラッシュ時の混雑に役立つのはハーランドの突進と潮崎のシンカーだ。健康第一。チャージを忘れずに。今日も人間観察に励む所存である。

そんなことってあるのか

 サッカーのワールドカップが開幕した。今回はアメリカ・カナダ・メキシコの3カ国共同開催なのだという。前回アメリカで単独開催されたのは1994年のこと。中2の夏か。僕がワールドカップなるものの面白さに目覚めたのがその時期ということになる。運動が全然ダメなくせに、観戦するのは好きなのだ。各国の色とりどりのユニフォームや選手・観客のお国柄を観察するのも大好き。昔から、国名や首都名を覚えるのが得意で、高校の社会科の選択科目は地理だった。地図帳にはロマンが広がっている。

 話が脱線しそうになった。僕はサッカーの熱心なファンではないが、ワールドカップの時期になると、選手データが気になりだすタイプ。前回大会からの4年分のチェック不足を短期集中的に補うという、姑息な姿勢を僕は愛する。普段、Jリーグや海外サッカーもろくに追いかけていないけれど、学生時代にウイイレで鍛えた(PS2の頃にハマりすぎた)感性をいかして、注目株の発掘に勤しむのだ。これが楽しい作業なのである。

 前回2022年のカタール大会で、何の気なしにアメリカ代表のデータを眺めていたら、

「ペンシルベニア州ハーシー」出身の選手が目に飛び込んできた。長い話を省略すれば、ハーシーは僕の第2の故郷(1991年10月から1992年9月にかけて住んでいた)である。そんなピンポイントなド田舎から代表選手が生まれただなんて! しかも、どうやら伸び盛りの若手なのだという。

 嬉しくなった僕は、彼の苗字を見てさらに驚いた。日本語表記で「プリシッチ」や「プリシック」と呼ばれる彼、英語で書くと「Pulisic」となるのだそうだ。どこかで見た字面だなぁ。こういう時は忍法Wikipediaの術を使おう。「クリスチャン・プルシック」(表記の揺れが激しい)は「1990年代のインドアサッカーのプロ選手であった父のもと」1998年に生まれた、とある。インドアサッカーというキーワードで、一気にわが記憶の扉は開かれた。この選手のお父さん、あの時のコーチやないかっ!

 一人で勝手に興奮してしまったが、情報を整理しよう。かつてアメリカにはインドアサッカーのリーグがあったのだ。これまたWikiによれば、1991年設立の2003年解散ということらしいが、その中にハリスバーグ・ヒート(HARRISBURG HEAT)というチームがあった。タイミング的に試合を観ることは叶わなかったが、なぜか僕は近所の友達(イギリス人とドイツ人のハーフでサッカーが上手い兄弟・ダニエルとキューロン)に誘われて、このチーム主催のキッズ向けサマーキャンプに参加することになったのだ。運動神経悪いというのに。

 キャンプと言っても寝泊まりするわけではなく、夏期講習の要領で「通い」のサッカー教室なのである。下手くそなりにおおいに楽しんだわけだが、3人ほどいたコーチ(皆、現役選手)のうち、一番ムスッとしてて、カリスマ性があったのが「プリシッチ(父)」だったのだ。機嫌が悪そうに見えたのにはわけがあって、おそらくプロ選手として主力級だった彼は、あくまでも客寄せパンダ的な立ち位置だったのではないか。子供たちとの「遊び」といえど、そこで怪我でもしてしまったら、元も子もない。実際のコーチングは他の選手に任せて、ある種の近寄りがたいオーラを発することに専念していたのだ。仮説だけど。

 実家を探せば、当時の「プリシッチ(父)」のサインも出てくるかもしれない。いや、サインをもらったかどうかも定かではない。とにかく、あの「Pulisic」が時を超えて繋がるだなんて、世の中には不思議なことがあるものだよ!

 アメリカを出てドルトムント、チェルシーと名門を渡り歩いたプリシッチ(子)は現在、ACミランの中心選手として活躍しているらしい。そして、今回のワールドカップではアメリカ代表の10番を背負っている。そんなどデカいスケールの人、僕の身近にいたためしがない。いや、身近じゃないのはわかってるんだが、「身近」のひとつにカウントしたい奇妙なご縁だ。初戦のパラグアイ戦でアメリカは大勝したわけだが、プリシッチ(子)は2得点に絡む活躍だったらしい。NHK ONEで「2分ハイライト」(便利!)を観たが、プリシッチ(子)、空間を切り裂いてた。めちゃくちゃドリブルが速い。なんかもう、応援すべき選手が決まってしまったようだ。

 ハリスバーグ・ヒートのサマーキャンプから34年が経った。よくぞ記憶の糸を手繰り寄せたものだ(自画自賛)。自分で何かを成し遂げたわけではないが、けっこうドラマチックな人生を歩んでいるかもしれない。アメリカという国は散々なことになってしまったが、こういうふうに夢や希望を生み出すこともある。プリシッチに対する思い入れは格別。怪我しないように、駆け抜けてほしい。

抜け感

 やはり4月と5月は体調が悪かったんだなと、今になって思う。今月に入ってからはわりと好調。体の状態がよいと頭もそれなりに冴えてくる。読書がはかどる。やる気も満ちて、好ましいサイクルが生まれる。いいことだらけだ。

 先日、長引く鼻風邪にとどめを刺したくて、かかりつけの医師に相談したのだった。別件の血液検査のついでに「2週間近くパブロンを飲んでるんですが、いまいち治りきらなくて」とつぶやいてみたら、「私も試したやつで、劇的に鼻の通りがよくなるのがありますよ。いっときますか? 漢方なんですけど」と先生。いっときますか、という矢鱈とカジュアルな物言いが気になったものの、なんとか健康を取り戻したい僕は苦笑いしながら「いっときます」と答えた。漢方といえば葛根湯ぐらいしか飲んだことないけど、まあいいか。

 処方されたのは、小青竜湯(しょうせいりゅうとう)。包みに「ツムラ」って書いてあるから安心。「ツムラ」といえば大手だ。しかも、「シムラ」に似てるしね、なんて思った僕がバカだった。食前に飲めとの指示を守って服用してみたところ、あからさまに絶不調になった。家族には黙って自室で横になっていたのだが、熱中症の症状にも似た頭痛と気だるさが一気に襲ってきた。普段は食欲旺盛な僕だが、昼食も夕食もあんまりバクバクいけない。しかも、こういう時に限って、やたらと脂っこいものが食卓に出される。すべてがチグハグである。

 薬剤師の話では、この漢方は風邪の際の鼻づまりはもちろん、花粉症にも効くという。眠くならないところもセールスポイントらしい。医師の「いっときます」が思い出される。「効く」とは聞いていたが「効き過ぎる」とは聞いてないぞ。よっぽど病院や薬局に電話をかけて相談したほうがいいかなとも思ったが、ツムラのサイトを見ると、まあこういう副反応もあるわなといった趣。なんでも、漢方医学でいうところの「水(すい)」の巡りを良くする薬なんだとか。なんだかよくわからんが、こういう時は粛々と眠るのみである。

 「こりゃ小青竜湯ではなく小青龍刀でも飲み込んだかな、ワハハ」などとひとりごちながら、我慢の数時間。鏡は見ていないが、今の僕はブルードラゴン、いや顔面蒼白だろう。まだまだ青い。人生経験が足りていないのだ。そういえば、昔、筒井康隆の『薬菜飯店』という小説を楽しんだな。あれは徹底的にバカバカしくて、よかった……。

 天井全体が走馬灯のようになったところで、僕は朝イチで採血したことを思い出した。血をバンバン抜いた後に、初めての漢方である。そりゃフラフラにもなるか。あらゆることが諦めの境地に達した明け方、数週間ぶりに鼻が通るのがわかった。確かに効いている。「いっといて」正解だったのだ。

 その後、栄養と睡眠を十分にとることを心がけ、徐々にまともに社会復帰できた。体の不調は怖いけれども、何より怖いのは漢方という人類の叡智の賜物だ。たった1包で僕の体内の「水(すい)」のバランスを整えた小青竜湯があと20包残っている。僕はもう二度と飲まないけれども、読者の皆さんはいっときますか?

DEFTONES@東京ガーデンシアター(2026年5月18日)を観た

 4月の終わりから5月の中旬にかけて、散々の体調だった。鼻風邪が治りかけたかと思えば、新たな鼻風邪に追撃される、というパターンを数回繰り返して、ヘトヘトの極み。人間、体力が奪われると思考も鈍くなるもので、何かを発信するのも億劫になる。そんな5月だったが、体調不良がほぼ完治したところへ、立て続けに素晴らしいライヴ(GUMMY、DEFTONES、メリー/Psycho le Cému、人間椅子)を観て、一気に上昇気流に乗った気分だ。記憶が新鮮なうちに、あの光景を記録しておかねば。

 感想を分かち合ったり、お土産話を披露したりするうちに「もしかして、自分はとんでもないものを観てしまったのかもしれない」と遅ればせながら気づくライヴが稀にある。とにかく、あまり経験したことがないタイプの余韻が、終演から2週間ほど経った今も体の中に残っているのだ。

 DEFTONESのジャパン・ツアー初日、東京ガーデンシアター公演を観た。15年ぶりの単独公演だそうだ。東京と大阪は大入り満員、最終日の名古屋も大盛況で、「まさかこの規模の大会場が埋まるとは……」と驚いたファンも多いのではないか。自分もその一人である。僕にとっては、今回で通算4度目、単独公演では2011年の渋谷クラブクアトロ以来だ。アルバムでいうと『DIAMOND EYES』の頃。アルバム・ジャケットのフクロウがデデン!とプリントされたTシャツも買ったなぁ。2013年のオズフェス、2016年のノットフェスでも観るには観たが、いかんせん、出演時間が短くて不完全燃焼だった(と言いつつ、どちらのフェスでも、ちゃっかりTシャツは購入)。このバンドに「浸る」ためには、フルサイズの演奏時間が必要なのだと感じた次第。

 今回のDEFTONES来日公演は、興行的な成功を収めただけではなく、2026年という時代の持つ意味を考えさせられる出来事だった。かつて、ここまで多くの人々がDEFTONES目撃の衝撃を口にしたことがあっただろうか。いや、ない。終演後、SNSに投稿される感想の一つひとつが興味深くて、「みんな、イイこと言うなぁ」と妙に感心してしまった。ライヴの感動をかなり正確に言語化できている人が多かったのだ。

 率直に言うと、いつの間にこんなに大人気のバンドになったのか、不思議でたまらない。「TikTokから火がついた」とか「若いコを中心に再評価の機運が高まった」とか言うけれど、本当に本当なの? 答えは会場にあった。どうやら、どの噂も本当らしい。海外からのお客様の数が目立つ。アジア、欧米など、地域も多様だ。その中には牧歌的な家族連れもいるし、ゴスの装いでまとめた10代や20代の女の子もいる。ますます謎は深まるばかりである。日本人はといえば、メタル愛に満ちた人もいれば、オルタナ寄りの風貌の人もいる。バンドTシャツを着ていなくとも「RADIOHEADやMY BLOODY VALENTINEが好き!」という思想が滲み出ている人もいる。要するに、老若男女問わず、幅広い層がDEFTONESを支持している。この人たちは普段、日本のどこに潜んでいるのだろう?

 そもそも、DEFTONESって、知る人ぞ知るバンドだったはず。そんなことはないですか? うーん……。たとえば、SLIPKNOT、KORN、LIMP BIZKIT、LINKIN PARK、SYSTEM OF A DOWN等々、90年代末から00年代初頭にかけて登場した「ヘヴィな」バンドの「わかりやすさ」に比べれば、DEFTONESは通好みというか、ミュージシャンズ・ミュージシャン的な側面が強い存在だと思っていた。ここに列挙したバンド(TOOLを加えてもいい)が「ヘヴィ」でありつつも、キャッチーな必殺曲を多数持っているのに対して、DEFTONESは甘く妖しい浮遊感が特徴で、当時20代の僕は「バンドの見た目と曲が合ってない」とさえ感じていた(と同時に、「そこが魅力なのかも」とも)。CDを聴けば聴くほど、ライヴを観れば観るほど、どんどん気になる存在になっていく。それがDEFTONESの魔力だったかと思う。 

 最新アルバム「PRIVATE MUSIC』(2025年)が内容・アートワークともに大変好みだったので、僕はグッズが欲しかった。どのライヴでも、SNSにおける物販情報の解禁を心待ちにしているのだが、公演直前に発表されたラインナップを眺めて、「どれも自分には似合わない、これは自分の趣味ではない」と強く言い聞かせた。必殺「買ったつもり貯金」である。せめて、『PRIVATE MUSIC』の世界観ど真ん中の、ヘビが前面に出たデザインのものがあればなぁ。正直に言えば、いずれのグッズもちょっとダサ……いやいや、売場で実物を見た時には一瞬、購買意欲が増したのだ。というのも、画像で見るよりも、布にプリントされた質感が気に入ったからだ。だが、「デフトーンズ」とカタカナ(フォントが本当にどうかと思う)で書かれたTシャツを着こなす度胸は僕にはなかった。

 東京ガーデンシアターに来るのは、2025年2月の黒夢以来、2度目だ。あの時は相応に緊張していたため、周囲を見回す余裕がなかったが、ここは非常に天井の高い会場だ。今回はクリエイティブマン会員先行で取ったS指定席15,000円也。「なんて席運が良いのでしょう!」と小躍りしたくなるような、3F第1バルコニー前方のど真ん中というポジションだった。視界良好。

 客入れBGMの選曲およびつなぎ方が凝っていて、開演前のひと時も音楽的に充実している。不勉強なもので、ほとんどの曲を知らなかった(だが、そこがいい)。ひとつ発見したのは、ENYAの「Caribbean Blue」を爆音で聴くと、心身ともにスピリチュアルな領域まで「持っていかれる」ということ。他の「ヘヴィな」バンドのコンサートでは得難い音楽的体験だ。

 ソールドアウトなので当然といえば当然だが、スタンディング・エリアにはぎっしり人が詰まっている。今となっては渋谷クラブクアトロで観られたことが信じられない。15年経って、10倍のキャパの会場を埋めるだなんて、あの時は考えもしなかった。

 ショウが始まってしまえば、アンコールを含めて約90分、ずっと心地よく爆音に揺られる旅だった。特に、VJ的手法を駆使した映像と演奏のリンクが素晴らしく、まったくもって、大規模スクリーンと照明の妙が似合うバンドなのだなと感心しきり。音像の点でいえば、特にドラムの音の抜けが良好で、いつまでも浴びていたいタイプの轟音だった。なるほど、ドリーム・ポップやシューゲイザーといったジャンルを持ち出してきてDEFTONESを語る人もいるが、ここは一発、難しいこと抜きにして「ロック!」でいいんじゃないですかねぇ?

 僕は20代の頃、DEFTONESを就寝時BGMにしていた時期があって、ライヴ中、急にそのことを思い出してしまった。たとえば、BON JOVIやKISSのライヴのようにシンガロングする快楽がある一方で、シュワシュワの微炭酸に浸りつつ「このまま寝てもよいかな?」とさえ思えてくる気持ち良さ。アルバム全体、あるいはライヴ全体にLED ZEPPELINの「No Quarter」に通じる浮遊感があるといえばいいのか。僕にとって、DEFTONESは能の幽玄に似たバンドなのだ。周囲のバルコニー席では、座ってまったり観賞しているファンが多かったのも印象的。大学院生の頃の僕は月に1度以上能楽堂に通っていて……おっと、話が脱線しそうになった。

 セットリストに関しては、文句のつけようもなかった。僕は「7 Words」さえ聴ければよいという軟弱者なのである。たしかに、最新作『PRIVATE MUSIC』の曲をもっとたくさん聴きたかったが、「今まで生で観たDEFTONESのライヴの中で一番!」という思いは揺るがない。また、DIR EN GREYの薫さんがおっしゃるように「Knife Prty」もやってほしかった(この辺の事情は「薫 Knife Prty」で各自検索のこと)けれども、そういう巡り合わせもライヴというものの醍醐味かと。そういえば、DIRのファンで今回のDEFTONESを観に行った人たちもかなりの数にのぼると想像するが、どうなんでしょうね? 彼ら彼女らの感想をじっくり聞いてみたい。

 長文になってしまった。ライヴは気持ち良かったが、帰りのりんかい線の混雑ぶりには閉口した。大学生らしき男2人女1人のグループが今宵のライヴの興奮を大声で語り合っている(ギュウギュウ詰めの車内ドア付近で)。「いやー、よかったな! あの『アーアー』ってやつがよかった!」「『ア~ア~ア~』でしょ? あれ、最高だったよ」「うんうん、『アァ~アァ~ア』ね!」どの曲かはわからんが、初めて目撃したDEFTONESという存在に打ちのめされていることはよく伝わった。彼らのように、いつでも無防備に心が開かれている状態でありたい。

2026年5月6日、横浜DeNAベイスターズ VS 広島東洋カープ@横浜スタジアムを観た

 つまんない連休を過ごしておりますよ、とこのブログで報告した直後、事態が急転し、今シーズン初の野球観戦をすることとなった。連休の最終日、家族はいつの間にか内野指定席を押さえているという。ほう、それは結構なことですねぇと相槌を打ちそうになったが、よく聞けば、僕の分の座席はまだ確保していないとのこと。なんじゃそりゃ。彼女らの指定席からちょっと離れた立ち見席であれば、まだ購入可能だし、何かあった時に駆けつけることができるとかナントカ。頭を抱える展開ではあるが、僕も野球は観たい。通例、内野指定席でのんびり観戦する派ではあるが、立ち見も話の種になるのではないか。「内野立ち見 s318a STAR SIDE」、2500円。なかなかリーズナブルな価格設定だ。行きます、行きます。立ち見に不便を感じたら、場内のグルメ散策にでも出かければよいのだし。
 試合開始の1時間以上前には球場に着いていた。この日は「スーパーマリオ40周年×プロ野球12球団」というイベントが催されており、始球式にマリオが登場、試合で使用される一塁から三塁にかけてのベースが「ハテナブロック仕様」になるという触れ込みだ。場内にはマリオたち(看板)と撮影できるスポットが点在している。着ぐるみ数体も巡回していたが、ツーショット撮影はできない模様。お土産としてマリオグッズのひとつも配ってほしいものだが、特に何もなくて寂しい。ベイスターズとの公式コラボグッズもなんだかパッとしなかった。任天堂の人間と思しきスーツ組がスタジアム外周をウロウロしていて、なるほどなぁと思った。ご苦労様です。
 結論から言えば、立ち見席、とても良かった。視界を遮るものがなく、眺めがよいのだ。何より、スタジアム特有の座席間隔の窮屈さを感じることがない。早い者勝ちで適当なポジションさえ確保すれば、あとは体力まかせという印象。
 立ち見エリアとは、どのあたりか。富裕層が観戦するボックス席の真後ろの通路にズラリと並ぶのだ。駅前の電線に群れるムクドリを思い浮かべていただければよい。立つ場所が微妙に傾斜になっているので、ピサの斜塔のような体勢で左に傾きながら、グラウンドを見下ろすことになる。足腰が悪い人には無理ですね。
 今回は三塁側の外野寄りだったため、カープの応援団が近い。よって、この立ち見席はカープファン7割、ベイファン3割といった塩梅で構成されている。ちなみに、我々の目の前には金属製の手すりがあって、背中に直接「ありあけのハーバー」等の看板を背負うような感じ。人ひとりが通るのがやっとで、しゃがみ込んでの観戦などもってのほかだ。消防法の限界にでも挑戦しているのだろうか。
 「すみません、すみません」とこの立ち見エリアにカニ歩きしながら侵入していったのだが、僕の隣は重度の野球オタクの青年だった。一人でブツブツ、選手のプレイ解説をしたり、試合展開に言及したりするタイプ。ああ、いるいる、この手の人。鉄道オタクにも共通するある種の「気」を感じて怖くなってしまう。
 それはさておき、場内に吹く風が心地よい。普段からスタンディング形式のロックコンサートに慣れている人にとっては何の心配もない環境だ。いつでもトイレに行けて、なんなら売り子嬢からビールの1杯も買えるのだから、むしろ快適といってよい。売店に行くために人をかき分けるのが苦手な向きは、あらかじめ必要な飲食物を買い込んでおくことをお勧めする。
 唯一の誤算は、いつの間にかハマスタが全面キャッシュレス制になっていたこと。売店で何かを買おうにも、売り子さんとコミュニーケーションを取ろうにも、現金使用不可なのである。これには顔が青ざめた。こちとら、PayPayに2千円、Suicaに千円ぐらいしか入れていない身分だ。そんな制度と知っていれば、あらかじめ1万円ぐらいはチャージしておいたのに。生ビール900円、弁当は1500円が標準価格。リュックに非常食(菓子パンや飲み物)を詰めてきてよかった。離れた席の家族は崎陽軒のシウマイやら何やら頬張っている。わたしゃメロンパンだ。こんなんで家族と言えるのか。
 肝心の試合はといえば、今まで何十と生観戦したプロ野球の中でもトップクラスの大味な展開だった。10対0でカープの勝利。「今年のカープは弱い、新井の采配なんてムチャクチャだ」などといった噂を耳にしていただけに、この圧倒的な強さには驚いた。
 今年、抑えから先発に転向した栗林がスイスイっとベイ打線を抑えていく。コントロールとテンポが良くて、非常に僕好みの投球だ。この転向劇は成功とみた。ただし、送りバントはド下手だったので、彼の今後の課題だろう。
 神がかりの守備でお馴染みの菊池がスリーランを打つ。打った瞬間の音とレフトスタンドに向けて描かれた放物線が美しい。こうした弾道の肌触りを感じられるのも、この立ち見席の醍醐味だろう。ちなみに、菊池は僕が球場に足を運ぶと必ず活躍する選手なのだ。守備に注目がいきがちだが、パンチ力があるし、けっこういいところで打つので要注意。
 両チーム、スタメンに大砲が不在という点がつまらないといえばつまらなかった。欲を言えば、ベイの選手では筒香とビシエドの打席が観たかったのだ。だが、意外な収穫もあるのが生観戦のよいところ。この日は西武時代に大ファンだった秋山が、めちゃくちゃ活躍していてうれしかった。メジャー挑戦が失敗に終わったのは残念だけれども、巧みなバットコントロールはさすが。まだまだ重要な場面でヒットを量産してほしいと願ったことである。
 まったくノーマークだった持丸(モチマル)というキャッチャーも素晴らしかった。前日に土壇場で同点ホームランを打ったらしいが、この日もダメ押しのホームラン。名前がいい味出しているうえに、顔面もいい味出している。応援しようかな。
 そういえば、コロナ禍以前の一時期のように、あちこちにカープ女子が……という風景ではなくなっていた。弱くなったときにこそ応援して、成長株を見つけるのが真のファン。その点、今のカープ選手に声援を送っている人たちの愛は本物だと思う。未だにエルドレッドのユニフォームを着ている人がいたりして、胸が熱くなる。こういうのはテレビ観戦では味わえない視角だろう。
 この日の観戦から約2週間が経ち、栗林は好投を続けている。ベイに至っては、正捕手で人気者の山本祐大を急なトレードに出すという、ファン心理をまるで無視した頓珍漢な動きが話題を呼んだ。日本のプロ野球は人間観察という点において、実に味わい深いスポーツだ。データや結果を眺めるのもひとつの楽しみ方だが、現地でスタジアム丸ごとの空気を吸い込み、「人間模様」に触れることが本当に面白い。人生に悩んだら、ふらりと球場に行くのがいい。
 ところで、僕の斜め前のボックス席に「KAKKA 666」と背中に書かれたTシャツのおじさんがいたんだが、あれは聖飢魔IIのグッズなのだろうか? 「ここはライヴ会場ではないですよ? お前も蝋人形にしてやりましょうか?」と声をかけそうになったが、無粋なのでやめておいた。悪魔の信者さえも虜にしてしまうプロ野球というものが、僕は恐ろしい。

何がゴールデン

 今年のゴールデンウィークは自分史上最悪の部類に入ると思う。連休が始まる前から風邪をひき、長引き、ぶり返し……と散々な目に。べつに何か楽しい計画を立てていたわけではないが、あらゆる気力が失せ、ひたすら機嫌が悪くなっていった。夜毎繰り返す自己内対話の質も低下し、悪夢を見る確率が高まってくる。大好きな睡眠もエンジョイできなくなってきて、焦り出す。そこへ、中断していた「ウォーキング・デッド」の第7シーズン第1話など観てしまったものだから、絶望感もひとしお。シリーズ屈指の胸糞悪さを誇るエピソードのせいで、僕はこれ以上このドラマ視聴を続けても意味がないと思い知った(と言いつつ、何カ月か後には再開しているかもしれんが)。

 そもそも、風邪のひき始めがいけなかったのだ。以前、本ブログで職場の隣の若者から鼻風邪をうつされた話はしたと思うが、今回は僕の真後ろの座席のオバハンから咳・くしゃみその他を背中にぶっかけられて、調子を崩した。僕の場合、いつでもそうだが、「ああ、これはうつるな、うつるな……」という悪い予感を抱いたら運の尽き。スネ夫の母親の実写版みたいな教育ママ系オバハンのマナーの悪さを今でも呪っている。

 後ろ向きなことばかり並べ立てていたら、この記事がドブみたいに濁ってきたように感じる。話題を変えよう。

 近所の買物以外は極力外出しないという、コロナ禍生活に似た日常を送っていたため、娯楽は必然的に限られてくる。安定のドラマ・映画視聴である。よく考えてみれば、この10年、ライヴ通いに重心をかけ過ぎていたため、インドアでできる作品鑑賞を怠ってきた。ピンチはチャンスである。今できることを、どんどんやるのみ。

 あまり僕の周囲から好意的な感想は聞こえてこないのだが、今期の朝ドラ「風、薫る」をけっこう楽しく観ている。まったく期待していなかったからこその味わいなのかもしれない。日本における看護婦の誕生をひとつの大きなトピックとして描いているのだけれど、見上愛と上坂樹里のヒロイン2人制というのが程よい仕掛けとなっている。

 見上愛はJRAのCMで顔を覚え、「光る君へ」で初めて演技を観た。彼女は今までに見たことがないタイプのフェイスで、人類の進歩は凄いナーと謎に感心したものだが、「風、薫る」のりん役はハマっている。特に、物事に驚く時の目の開き方が「ビックリ!」って感じで、よい。

 上坂樹里(こうさかじゅり)のことは全然知らなかった。というか、キャストが発表された時点では上野樹里と勘違いする有様。第1週から、整った顔立ちの娘さんだなと注目していたが、劇中のある時からズバッと髪を切り、存在感が増した。「いやあ、この子は売れるでしょう!」と何様のつもりで観ているおじ様がここにいる。

 そんななか、僕がイチオシなのは、見上愛演ずる主人公の母親役の水野美紀である。所作が男前でずっと前から好きな女優なのだけれど、ここ数年、本当にいい味を出している。なぎなたを持たせたら、世界で5本の指に入ると思う佇まい。

 今後、男性キャストたちに一定の奥行きが出てきたら、物語はますます面白くなるだろう。序盤の北村一輝はさすがの魅力でしたね。

 主題歌はMrs. GREEN APPLE。なるほど、今はこういう曲が最大公約数的役割を果たすのか。不思議と、「このバンドのことを悪く言ってはいけない」みたいな空気が世に溢れてますよねぇ。うーん、なんなんだろう、その根底にあるものは。10代の頃から思うのだが、大事なのは是々非々!

 「風、薫る」どころか暴風吹き荒れたゴールデンウィークが終わってしまう。この長く、しまりのない連休を抜けてからが肝心なんだよな。なんてことのない平日のリズムが恋しい。つとめて健康的にいこう。いい風を吹かせよう。

隙間で考える

 4月は残酷だ。新年度開始のあれやこれやに振り回されていたかと思えば、ゴールデンウィークがもう目の前に迫っている。毎年、柏餅を食べるぐらいしか特別な催しは起こらないので、この長い休みが鬱陶しくもある。お休みというのがありがたい一方で、日常のペースを整えていくことは難しい。そりゃあ、五月病も流行るわな。

 さて、そんなことはどうでもよく、一切のライヴや演劇に出かけることがないまま今月が終わってしまいそうだ。この珍事は実に約20年ぶりということになる。手帳に観劇の記録をつけ始めたのが大学院修士課程の頃だから、そんなもんか。あの頃は毎月のように国立能楽堂に通い、あわよくば歌舞伎座などに出かけ、隙あらばライヴハウスに出没(主に洋楽)していた。贅沢な身分だった。

 家族に急病人が発生したとはいえ、今回のTHE BLACK CROWESを直前で断念せざるを得なかったのは大事件だ。事態が事態なのでドンマイ、ドンマイと諦めもついたが、時間が経過するごとにドンドン、マイマイしてくる自分が情けなかった。生活していると、いろいろある。その後、病人はすっかり回復しましたので、ご安心を。

 そうなのだ。EDDIE VEDDERもギリギリまで悩んだ結果、見送ることに。PEARL JAMはデビュー当時(ちょうど僕がアメリカに住んでいた頃)から僕の心に引っ掛かり続けているバンドなので、ご本人(ソロだけど)を拝んでみたかったが、願い叶わず。まあ、今回の来日公演が評判良かったようだから、いつかまたチャンスはあるでしょうと、とりあえず楽観的になってみる。

 その他、行こう行こうと手帳にグリグリ丸をつけて計画していたライヴ観覧もいくつか諦めてしまった。関係者の皆様、ご心配をおかけして、申し訳ございません。なんというか、今は穏やかなのが大事。静けさこそが友達。見方によれば日和った生活をしているが、自分の身を守るためには、この最低防衛ラインを崩してはならないと思っている。

 繊細な人ならば、とうに白旗をあげている状況ではあるが、僕は変に図太いところがあるので、苦難の隙間に意味を見いだしている。家にいても、やれることはたくさんある。例の東宝昭和爆笑喜劇DVDシリーズを今月だけで15本ほど観てしまった。これまでで、全50巻中の8割を消化したことになる。1年かけてじっくり挑もうと思っていたのに、驚異のペースだ。日常大爆発のさなか、映画鑑賞の習慣が戻ったのは幸福なこと。

 クレージーキャッツという人たちを今回たっぷり観させてもらっているが、出演作は玉石混交だなと思う。厳しく言えば、おおいに笑えるのは初期の5作ぐらいで、末期の作品になると目も当てられなくなる。これがマンネリズムというやつか、と目をショボショボさせながらの観賞である。率直に言えば、昔の人は行き詰まると忠臣蔵や清水次郎長といった題材に逃げがちだ。まあ、シリーズ中のテコ入れのつもりなのだろうが、令和の今観ると、とても古い。「生々しく、古い」といった方が正確だろうか。散々言っておりますが、植木等の身体能力と突破力には敬服する。観ているだけでハッスルだ。

 社長シリーズとはご縁のない人生だったのだが、40も半ばを過ぎた今観てみると、実に味わい深い。こんなの、そこら辺の若造が観たところで、なんのおかしみも感じないだろう。日本的わび・さびの極致がここにある。などと書いてみたが、どれもこれもなんということのない作風で、観賞後に何の学びも得られない点が最高だ。とにかく、森繁がうまい。エロいことをやりかけても、不思議に品がある(そして、必ずエロ失敗)。加東大介と小林桂樹の演技はいつまでも観ていたくなる。「本当に、そういう人がいる」と錯覚してしまうほどの名脇役ぶりだ。そして、三木のり平の宴会芸および宴会セッティングの腕前につくづく魅了されている。

 教養と気品は顔に出る。そんなことを考えている4月末。