志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第7回(最終回)】

 こんにちは。ペーパードライバー歴3か月の僕がブイブイいわせますよ。何を隠そう、あの秋の濃密な教習以降、ハンドルを握っていないのだ。とはいえ、街を走る車の「身のこなし」に関心を持つようになったし、住宅街を歩いては「この車、いいなあ」ぐらいの感想を抱くようになった。自宅に車のない自分にとっては、たいした成長だと思う。買物、送迎、ドライブ……いつか誰かのお役に立てることを夢見ながら、毎日イメトレに余念がない。
 2000年頃のプレステに「免許をとろう」という教習所シミュレーションゲームがあった。僕はこれを武蔵小金井のシータというゲームショップで買い求め、数回プレイしただけで飽きた記憶がある。基本的にビビりなので、教習所通いの前にひと通りの流れを叩き込んでおこうと思ったのだが、どうもノレない。やはり、実地に勝るものはなし。ヒーコラ言いながら、約2週間の短期集中パックでマニュアル車の普通免許を取得したのが大学2年の夏である。
 そこから月日は流れ……。まさか43歳にもなって、ペーパードライバー教習なるものを受講することになるとは夢にも思わなかった。8コマ5万円のそのパックは、最低限の運転の勘を取り戻すには効率が良く、同じような境遇でお困りの人にお勧めしたくなるほど。中年になってわかったことだが、学校というシステムは素晴らしい。イヤ〜なことも半ば強制的に仕込んでくれるのだから、ありがたいものだ。
 教習所で習ったことをおさらいするために、僕はYouTubeを漁った。玉石混淆とはまさにこのこと。非常にためになる動画もあれば、まるで視聴者目線に立っていないものもある。そんななか、僕は一人の配信者に注目し、毎日少しずつ学んでいる。

車の運転を一から教えます【愛知・岐阜・三重・滋賀のペーパードライバースクール】 - YouTube

という動画なのだが、インストラクターの男性が実に真面目でよろしい。名古屋・岐阜あたりの訛りがちょっと入っているのも微笑ましい。見た目が僕の友人に似ているというのもポイントが高い。運転復帰を考えている人は、まずこの動画を見れば、ひと通りのイメージを身につけることができるだろう。
 肝心の教習所なのだが、今回僕がお世話になったところは、たまたま相性が良かっただけな気がしてきた。複数の公式サイトを比較検討し、ペーパードライバー教習に力を入れていそうな学校を絞り込む努力が必要だ。探し当てるコツは教習所の放つ「オーラ」なのかな、知らんけど。
 僕が通った学校のリンクをここに貼っていい気もするのだが、なんだか気恥ずかしいのでやめておく。現金5万円が当たる「ピクトグラムふきだしコンテスト」なる大喜利系のイベントが定期開催されている点、常軌を逸した教習所だと思う。僕もちゃっかり参加しておいたけれども。まあ、ここまでのヒントでおおよその教習所が特定されちゃいますな。それもまた一興。

 思えば、目的地まで厚かましく同乗させてもらったり、イベント帰りに家の近所まで送っていただいたりと、僕の周囲のドライバーは皆、優しかった。自分も友人たちに対して、そういうふうに振る舞えたら最高だと思う。が、命の保証はない。いつか僕が運転する車に乗る人は、もれなく然るべき保険に加入しておいてほしい。犬死だけはさせない。

 教習の終盤で登場した毒蝮教官が言っていた。車庫入れはミニカーでも練習できるよ、と。ミニカーね……その日、さっそく近所の百均に立ち寄り、おもちゃのコーナーを眺めていたら、子連れのお母さんに不気味がられた。結局、何も買わずに店を出た。夕日がやけに大きく見えた。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第6回】

 ペーパードライバー教習の最終日となった。高速教習を2コマ連続で、である。死が身近に迫っていることを感じ、僕は朝からオエオエえずいていた。20年前も高速教習を受けたわけだが、その時は受講生が2人同時に乗り、行きと帰りで分担しての運転だった。これがなかなかの緊張感で、常に上の空だったことを思い出す。高速の出口からおりるときに「志村くん、このままのスピードで行ったら、正月のコマのようにクルクル回るでえ」と注意されたのが懐かしい。同乗者(ヤンキー)はなすびのように青ざめていた。今回は僕1人での乗車なので、気兼ねなく失敗できますね。
 教習所によっては、高速教習をシミュレーターのみで終わらせるところもあると伝え聞く。いやいや、そんなの意味あるのかな、などと思いつつも、実地での走行をだんだん避けたくなってくる。体がむず痒い。
 本日のインストラクターは、テレ朝の野上アナそっくりの青年だ。本当にそっくり。サスペンダーとか似合いそう。爽やかで真面目という印象。これなら大丈夫だろう。天気も良好。気持ちの良い挨拶を交わして、いざ教習車へ。まずはガソリンが十分に入っているかどうかを確かめる野上アナである。今回は朝の1限目を予約したのだ。高速教習に限っては、午後の指導は受けられない仕組みになっている。それはそうだろう。ビギナーが夜のハイウェイでぶっ放したら、血の雨が降る。
 ちなみに、料金はすべて実費。ETCカードなど持っているわけがないので、必然的に現金での支払いとなる。申込時に千円もかからない旨を聞かされていたので、この日は小分けの袋(極小ジップロック)に硬貨をまとめて臨む用意周到さである。後続車のことを考えると、モタモタしていられない、財布など取り出す暇はないというのが僕のイメージだった。「今日は小銭、準備されてきましたか?」と野上アナに問われ、「小分けの袋に入れてきました!」と会心の笑みで返す僕。呆れられるかなとも思ったが、意外とそういうことをする人はいるようで、「あっ。その袋の中身、ここにぶちまけちゃいましょう」と冷静に提案された。シフトレバー横のくぼみ状のスペースにコインをジャラジャラ載せて、バッチリである。こういう時のために、日頃から100円玉をたくさん作っておくものだな。
 免許証を確認し、車両点検も完了。本日のコースを大まかに説明してもらった。2コマのほぼ全部を高速道路に使うか、フツーの道を多めに採り入れ、苦手な技術を練習するか。選択肢があるのはありがたいが、今回は高速道路の星になると決めていた。よろしくお願いします! と、意気込みだけは軽やかなペーパードライバーだ。
 教習所を出て、河川敷沿いの細い道を行く。「前の黄色いアウディを追いかけてください。多分、同じコースなので」とのこと。そうだった。ここの教習所は希望者にアウディを貸し出すのだ。めちゃくちゃ目立つ、真っ黄色。うっかり「六甲おろし」を歌いたくなるカラーリングだが、そんな余裕をかます技量はなく、ガチガチのカーチェイスである。この辺の土地勘がないもので、高速入口に行くまでに結構疲弊してしまった。慣れない道は本当にストレスフル。自分の心が危険水域に達していることを自覚し始めた。
 小柄メガネ女子鈴木亮平、亀田さん(仮名)、毒蝮ら、これまでお世話になった教官の顔を思い浮かべながら、安全運転。なのだが、途中の交差点でアクセルとブレーキを一瞬踏み間違えるトラブルも。まさかそんなミスをするわけがない! と焦ったけれど、これぞおっさんペーパードライバーのなせる業。さらに気を引き締めようと心に誓った。この時点でかなり胃と心臓を痛めていたわけだが。
 どこの出入口かは言わんが、この日は第三京浜の一部を使って練習することになった。つまり、「高速に乗ったと思ったら数か所先で降り、Uターンする」を時間の許す限り繰り返したわけである。昔、スイミング・スクールで時間いっぱいまでコースを往復するというのをやったが、あれと同じ感じだなと勝手に納得した。幸いにして20年前の「正月のコマ」現象は起こさなかったが、高速道路上でハンドルを大きめに動かしてしまう癖を指摘されたのが恥ずかしい。まっすぐ走ろうとすればするほど、周囲の車からは、ふらつき運転の危ない奴と見なされる。野上アナも「ちょっと左に寄ってきてますよ!」などと実況してくれるが、「はいっ、はいっ!」と返すのが精一杯。ハンドルはほんの少し動かすだけで位置修整できますよ、とのこと。「命あっての物種」ということわざが頭をかすめる。
 それにしても、加速車線というのはよくできている。エイヤーと加速すれば、ほぼ自動的に本線に合流できるようになっている。のだが、この教習中、道を譲ってくれない不親切な車が現われて、肝を冷やした。あんな車は、いかづちに打たれて燃え盛るがよかろう。野上アナの機転によって助かったけれども、1人で運転していたら、危なかったかもしれない。
 クライマックスは、何度も訪れた。料金所を通過するたびに一大イベント発生である。そもそも車をほとんど使わない生活をしてきた僕は、あの料金所なるものがどんな仕組みなのか、まるでわかっていない。まずは入口で「発券」するところから緊張する。発券機の横にぴったりと車をつけ、ウインドウを開け、手を伸ばす。この一連の行為をやり遂げただけで、「ああ、大人になったんだな」と感じ入ったものだ。そして、野上アナはマネージャーのごとく券を預かってくれた。優しい。
 出口は出口で大変だ。ETC/一般と書かれたレーン目がけて車を走らせるのだが、周囲の車により一層注意を払わねばならない。「これが首都高だったら、もっと複雑でビビっちゃうんですよねー」とさりげなくアドバイスしてくれる野上アナ。首都高に永遠に乗らないビギナーがいるというのも、なんとなく納得できた。だって、怖いもの。小銭を料金所のおじさんに渡す時も、野上アナは決死のサポート体制だ。100円玉をかき集めては渡し、僕から受け取った釣り銭を「ここに投げて! 出発して!」という役割を買って出てくれた。ここまで細やかな気配りをしてくれる人はなかなかいないだろう。アクセルの踏みかたにも更なる気合いが入る(危ない)。
 そんなこんなで、光の速さで2コマが終わってしまった。帰りの下道では抜け殻のようになっていた。気を付けてはいたのだが、高速走行時には気が大きくなってしまうようだ。道路を車でかっ飛ばす気分は何物にも代えがたい。だからこそ、ちょうどいい塩梅の緊張感が必要なのだろう。そんなことを考えながら、相変わらず、交差点でハンドルを切る時には「ヨイショ」と小声が出てしまう僕だった。
 以上で全日程終了。特に表彰されるわけでもなく、受付に会員カードを返却して、おしまい。次回はこのペーパードライバー教習で得た気付きなどをまとめて、連載を終えたいと思う。ドライブ・ミー・クレイジー

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第5回】

 瞳の奥に宇宙が宿る。あるいは無数のヒヨコたちが頭頂を旋回する。この日の僕は2時間の車中でずっとそんな状態だった。亀田さん(仮名)の提案により、今日は車庫入れの特訓に励むのだ。トイレに行けない連続2コマ。1コマ目が快調ならば、2コマ目で路上というプランだったのだが、そううまくはいかないもの。前回の教習が想定外のおもてなしだとしたら、今回は想定内の居心地の悪さである。
 ご対面の前に一応、例の教員一覧をチェックしてみた。だが、今思い出そうとしても、ツッコミどころのないプロフィールで、ただただ「頭の硬そうなおじさん」という印象しか残っていない。フックのある自己PRって大事だなと感じ入った次第。人の性質は挨拶ひとつでだいたいわかってしまうものだが、「あっ、この人はアカンな。こっちの話を聞いてくれそうにないな」という予感は的中で、コミュニケーションに難儀した。まあ、今までに優しい先生方に当たったのだから、今回は我慢かな。
 少なくとも「わからないことはなんでも質問してくださいね」というタイプではない。車に乗り込み、サイドミラーの調整に手間取っている僕を見て、「そんなこともわからないの?」といった調子だ。やたら高圧的。こりゃ、初々しい学生さんたちからは嫌われているとみた。
 どうたとえれば正解なのかわからないが、毒蝮三太夫から笑いの要素を抜き、ぶっきらぼうにした感じのおじさんだ。ペーパードライバー歴やこれまでの教習での困難を述べてみたものの、あまり手応えがない。「とにかく今日は車庫入れなんでしょ。お手本は見せたほうがいい?」といった態度。お手本見せないでどうやって指導しようというのか毒蝮。よろしくお願いします。
 ところが、このお手本があまり頭に入ってこない。車庫入れにおいては教習過程で言うところの「方向変換」が肝になるそうなのだが、ハアハアと相槌を打つのみ。「ホラ見てて。前の車、失敗するよ」と他の教習生の悪戦苦闘を「悪い見本」として示すのも、なんか嫌だった。
 この日、唯一良かったと思えたのは、これまでよりも早い時間帯のコマを取れたことだ。つまり、悪夢の日没〜夜間の道を走ることなく、見通しのよい状態で練習を行えた。しょうもないことだが、ペーパードライバーにとって、この安心感はかなり大きい。
 久々の所内での運転ということもあり、緊張していた僕は「一時停止」のところを十分に停止せずにスーッと行ってしまった。教習所内の標識の類は乱立していて見にくいものだが、まあ、これは言い訳にならない。ボヤボヤしていた僕が悪い。今までのインストラクターなら、こちらが問題を起こす前に助け舟を出してくれたが、毒蝮はコトが生じてから「何やってんの? 外なら捕まるよ」と言ってくるタイプ。密室の中、不快な汗が滴る。初回とは別の意味で、お家に帰りたくなってくる。
 ホンマ、これ以上カチンとくること言うてきたら、暴走して爆発したろかな、ハンドル握っとんのは、おれやで! と、崇高な気概を胸に秘め、僕は深呼吸した。よく考えてみれば、まだ何も指導してもらってないではないか。きっと、時間が解決してくれる? 今日はハズレと開き直り、助言を謙虚に受け止めよう。
 後から知ったことだが、教習本科では車庫入れを積極的に教えないものなのだそうだ。言われてみれば、20年前にそんなスキルを練習した記憶がない。バック駐車の前段階の「方向変換」までは面倒を見る、というのが全国の教習所のスタンスらしい。日常生活における最重要項目がすっ飛ばされているという恐怖。ペーパードライバーとしては、車庫入れの練習ができる機会は貴重だ。
 毒蝮によると、バック駐車には2つのやり方があるという。いきなり直角に入れる方法と、車の「頭」を少しずつ左右に振って入れる方法。前者は難度が高いそうなので、僕は迷わず後者を選んだ。ここからは尻文字でも描いて実演したくなるところだが、駐車のコツというものは必ずあって、指導に忠実に従えば、それなりの結果が得られるのであった。肝は、車両感覚を掴むこと。そして、サイドミラーを十分に活用すること。この点、S字カーブとクランクにそれほど苦手意識を持っていないことが幸いした。
 毒蝮の言動はいちいちグサッと刺さるが、一旦謙虚に受け止めてみれば、有用な意見ばかりだった。ハンドルを何回回したかわからなくなった時は「元に戻せばいいじゃない」。駐車スペースに偏りが生じたら「幅寄せすりゃいいじゃない」。自分の位置を見失ったら「ミラー使えばいいじゃない」。いいじゃない、いいじゃない、調子いいじゃない。
 たとえ自分と相性の悪いインストラクターに当たっても、うまくできた時の感触は大切にしたいものだ。まあ、折に触れドアを開いて、歩道との間隔を確認させるのにはムッとしたけれども。そうかと思えば、「運転教本持ってきてないの!? ダメだよ〜! あれに全部書いてあるんだから」と車を停め、待合所に駆けていく毒蝮であった。数分間、教習車に取り残される僕。ちなみに、このペーパードライバー教習では、運転教本は「サービス」の一環として支給されるため、持参の義務はなかったことを申し添えたい。なんでこんなに悪者にされなきゃならんのだ! とも思ったが、教本の該当ページを示し、丁寧に解説してくださる毒蝮の愚直さ(?)に心打たれたことも事実だ。いわゆるツンデレとも違う、独特の味。毒蝮には毒蝮なりの教習理念ってものがある。一本筋の通った指導のおかげで、車庫入れの基本は掴めたような気がした。いや、いい経験になった2コマでした。
 今回の教習では、運転時の妙な癖も自覚した。交差点を曲がったり、車線変更する際、ハンドルを操作しながら「ヨイショ」と小声を発してしまうようなのだ。毎回というわけではないが、テンパった時によく出る模様。我ながら、キモかわいいなと思った。思い返してみれば、この件に関して、どの先生からも指摘がなかったのが恥ずかしい。

 次回はいよいよラスト、2時間の高速教習である。スピードを出すことも怖いが、それ以上に不安なのが料金所の出入りだ。果たして自分は生きて帰れるのか。スマートに小銭の受け渡しができるのだろうか。ヨイショ!

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第4回】

 教習初日から1週間が経った。本日も夕刻、しかも2コマ連続で路上だ。受付のおねえさんから、あらかじめトイレを済ませておくように念押しされる。つまりは休憩時間なしのぶっ続けである。相性の悪い教官に当たったら、悲惨なことになるなあ。
 手元の予約カードに、その日の教習担当者の名前が書かれていることを知った。周りの生徒たちはそれを受け取るなり、入口付近のボードに向かっていく。なるほど、インストラクターらの氏名、顔写真、趣味が貼り出されているではないか。これを確かめてから、始業時のねるとんパーティ(死語?)風ご対面に臨むというわけだ。前回は緊張のあまり、このボードのチェックを怠っていた。
 本日、僕を指導してくださるのは亀田さん(仮名)。「亀のようにゆっくりと学びましょう」が信条なのだという。町役場の窓口にいそうなおじさんである。黒いアームカバーをはめて、実直に仕事をこなす人。派手さはないが、チームに1人はいてほしい存在。昭和30年代の映画に出てきそう、送りバントが得意そう、というのが写真を見た第一印象だった。好きなドライブ先は軽井沢だそうだ。心底どうでもよくて、少し笑ってしまった。
 このプロフィール一覧は一定の効果を発揮しているようで、生徒たちはホッとしたり、顔をこわばらせたりしながら、教習コースへと散っていく。ペーパードライバー教習は対象外だが、この教習所では、自分のお気に入りの先生を指名できるらしい。その一方で「この人だけはご勘弁」というふうに、拒否権も発動できるようだ。今時の教習所はそこまでしないと立ち行かないのかしら。
 インストラクターの顔ぶれもさまざま。一覧の中には、こだわりのマイカーを自慢する人もいれば、熱心なベイスターズファンもいる。なかでもグッときたのが「B'z PARTYの方、語り合いましょう!」と書いている女性だ。この場でB'zの公式ファンクラブ名を出してくるあたり、切実な訴えなのだと直感した。ご指導を受けるチャンスはなかったが、「くれぐれもLADY NAVIGATIONでお願いしますよ、ワハハ!」なんて、曲名にちなんだ小粋なやり取りを繰り広げたかった。ちなみに、前回担当してくださった鈴木亮平氏は「二郎系ラーメン巡り」が趣味だそうで、勝手に納得した。
 さて、コースへ向かわねば。予鈴が鳴り、教官全員集合のご挨拶。毎時間、めんどくさくないのかなと思うが、このルーティンのおかげで、皆の気が引き締まるのかもしれない。いよいよ亀田さん(仮名)とのご対面である。結論からいうと、この方が全日程のなかで一番よかった。要するに、完璧に波長が合ったのだ。指導が的確なうえに、ホテルマンのごとき物腰の柔らかさが素晴らしかった。教習車に案内されるときに「お足元にご注意ください」と言われたのには動揺したが。
 タイヤの点検後、まずは前回までにどんな苦労があったかを説明。夜道の走行が怖いことやうっかりハイビームを出してテンパったことなど、失敗談に耳を傾けてくださる。「緊張のしすぎはよくありません。あんまりカタくならないことですよ」と穏やかな助言を得て、適度に力が抜けた。亀田さん(仮名)が素敵なのは、どんな些細な質問にでも丁寧に答えてくださるところ。こちらが困惑する前に、必ず「今やったところまでで、何かわからないことはありますか?」と助け船を出してくれた。僕がミスするたびに舌打ちしたり、嫌な顔をする教官とは大違いである(20年前の教習ではそういう輩もいた)。教える立場の人は、人格も技術も一級品であることが理想だが、そんな「理想」が亀田さん(仮名)の形をして現れたのだと解釈した。

 11月の夕刻は5分ごとに空が暗くなる。まずは前回トラウマを植え付けられた「教習所の出入口」を突破せねばならない。河川敷の縁を上りながら苦手意識を吐露すると、「ああ、ここは無視していいです!」と潔いお答えが返ってきた。無視してエエんかい! なんでも、このよくわからない出入口の存在が受講生を悩ませているそうで、それ以外の路上コースを快調に走れれば問題なしとのこと。自分だけが困っていたわけではないとわかり、ちょっとホッとするのであった。

 今回は2コマ連続ということで、バンバン車が走る道を使用した。要するに、周りの車の流れに乗っていかないと、煽られたり嫌な顔されたりする可能性が高い道。それでも平常心に近い状態を保っていられたのは、亀田さん(仮名)の亀の精神のなせる業だといえよう。土地勘がないもので、どこを走っているのかはサッパリわからなかったが、50キロをキープして走行したり、車線変更したり、アホほど右折したりと、非常に効果的な練習を重ねることができて満足。夜道では、前の前の車のあかりを手掛かりにすると、次の行動に移しやすいことなど、ためになる小ネタをたくさん提供してくださった。亀じゃなくて神なんじゃないか。

 時折ユーモアを交えながらの2時間弱の教習は、名残惜しさすら感じるくらいあっという間だった。終始和やかな空気だったが、自転車のおじいさんがヨロヨロと寄り添って走行してきた時だけは、ピリッと緊張感が走った。「いるんですよね、こういうじいさん。この手の人はなんにも交通ルールのことを考えてません。空気も読みません。私から言えるのは『じいさんに気を付けろ!』ということだけです」とほくそ笑む亀田さん(仮名)。教習所に着いてから聞かされたのだが、今日僕が走ったルートは難易度の高めのコースとのこと。なるほど、マンションが乱立する住宅街の脇を走る際の恐怖心はホンモノだったわけか。そこへ、天然のじいさんが……。とにかく、よい教訓になった。
 帰り際に、その場で書かれたメッセージ入りの名刺を差し出された。「次回もこの調子で頑張りましょう!」ですって。なんてことのない言葉だが、今の僕には限りなくあたたかい。いや、この方にあたってよかったよ。この教習所の良心だよ。帰りにファミチキを買い食いしたくなる程度には気分が良い。次回は1週間後で、これまた2コマ連続。「ずっと路上だけやるという手もあるんですが、次は『車庫入れ』をやってみてはいかがですか?」と神、じゃなかった亀さんがおっしゃるので、はいはい是非是非よろこんで! とその提案に乗ってみることにした。そして、車庫入れの地獄を味わうことになった。じいさんに気を付けろ!

2024年

 この場で駄文を書き連ねることが心苦しいくらい、新年早々、悲しいことが続いてしまった。どうか一人でも多くの方が救われますように。あたたかさに包まれますように。

 2024年である。昨年は1年をかけて、新しい環境への適応を探っていたような気がします。よい習慣はよい習慣のまま続け、悪しきモヤモヤは快調に振り払っていく所存。とにかく、心も体も元気でないことには始まらないので、毎日十分な睡眠をとることを心がけます。いや、まじで、まずはそこからでしょう。

 停滞しているブログ連載も早く再開せねば。まずは、好評をいただいているペーパードライバー教習の件をあと3回ほどで完結させます。その後は、生い立ちシリーズの大学院編に引導を渡す予定。これもあと3回ぐらいかな。2012年あたりの記憶を思い出す作業に難航しています。思い出したくないことがたくさんあるとも言う。

 新しいブログネタも仕込んでいます。仕込んだまま、未発表に終わることがないようにします。音楽、食、映画、本など、「ひとりカルチャー誌」のごとき気迫で展開していきたいものです。発信の火は絶やしません。毎日アウトプット! というわけにいかないところが哀しいけれども、努力はする。

 やりたいことは山ほどあるので、生きる気まんまんです。昨年ご心配をおかけした皆様、あたたかいお言葉を本当にありがとうございました。「諸事情」は実際にお会いした時にお話しいたします。人生いろいろあって、そうそう楽ちんモードとはいかないようです。今年は去年以上に再会の場があるといいな。そして、新しい出会いにも導かれたい。

 この歳になって初めて気づいた自分の長所が「コツコツと」なのです。コロナ禍に新共同訳の聖書を完読した経験がおおいにプラスに作用し、未読だったプルースト失われた時を求めて』(岩波文庫)もあと1巻となりました。すごいぜ、おれ! やった、やった! と、毎日自分を褒めることによって自我を保っています。レベルの低い喜びだなぁ。その他にも、語学や歴史の勉強が面白くなりました。いやいや、ピンチはチャンスになるものですよ。この勢いで、ベースの練習もコツコツ再開して、50歳でヴィジュアル系バンドを結成できれば、ひと笑い生み出せるかもしれん。いや、チョイ笑いぐらいか。無反応・無関心という線もあるな。僕は楽器習得がうまくいかなかったタチなので、事情が許せば、一度しっかり習ってみたいと思ってるんですよねぇ。

 なんだか、話が逸れに逸れました。とにかく、今まで以上に自分のことを大切にして、親や友人に少しずつ恩返しができるようにします。1つでも多くの良いことが、皆さんのもとに訪れますように!

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第3回】

 文字通り「ほうほうのてい」で1コマ目を終えたわけだが、5分後には2コマ目の始まりだ。ロンドンバスを改装した待合室(このあたりの趣味がよくわからない)で学生さん達とともに待機。場内を何周かしただけなのに、全身が筋肉痛である。ハンドルを持つ手に無駄な力が入っていた証拠だ。帰りたい。
 予鈴が鳴って、またまた教官がズラリである。なんだか、お見合いパーティのよう。合同結婚式に似たグルーヴさえ感じる。まあ、そんなことはどうでもよくて、2コマ目の担当は、身の丈190cmはあろうかという好青年だった。「バスケですか? バレーですか?」という頭の中の質問を打ち消し、軽やかに挨拶。見た目が鈴木亮平に似ているぞ。僕は先日、映画『孤狼の血 LEVEL 2』で暴力の限りを尽くす彼を観たばかりなので、興奮した。雨はますます強くなる。こんなんで路上に出て大丈夫なのか。
 さっき22年ぶりに運転して胃が痛いですよぅ、お手柔らかにお願いしますよぅハハハなどと、簡単に自分の置かれている状況を説明。教官が変わる度に「はじめまして」なので、自己紹介が肝心だ。「夜で大雨! 練習するには最高のシチュエーションですよ!」と鈴木亮平氏が励ましてくださる。どうやら優しい方のようで、ホッとした。今日はツイているかもしれない。
 路上に出るにあたり、点検が必要とのこと。まずは運転席まわりの調整なのだが、相変わらずチンプンカンプンだ。シートもミラーも自分なりに動かしてみるが、結局元の位置に戻っただけで、「何かやった感」が漂うのみ。ハンドルの位置を決めるにあたっては、かなり狼狽えてしまった。あまりの「使えなさ」っぷりに、さすがの鈴木亮平氏も呆れたような態度になってくる。
 けっこう驚いたのは、タイヤ及び前後のライトをしっかり点検すること。22年前にこんなことやったかな? という案件だが、鈴木亮平氏は抜かりない。彼の指示通りにタイヤを指差確認し、ライトを付けたり消したりしてみる。ほぼ初めての夜間走行、大丈夫なんだろうか。
 場内を軽く一周……することもなく、いきなり路上へと誘導される。コースを外れ、いざ教習所の出入口へ。今日が自分の命日!とばかりアクセルを踏み込んだ。
 この教習所の出入口というやつが本当に曲者だった。河川敷の土手を乗り越えると同時に左折する必要がある。しかも、出てすぐの道が極端に狭いときている。少し進むと高架下で対向車とバンバンすれ違うのだが、そのスリルたるや。この時、自分では徐行運転しているつもりだったのだが、「ここはゆっくり行きましょう!」と注意された。ハンドルも少し修整される。左前方の壁にぶつかりそうになっていたのだ。ガラス製の我が心にヒビが入る音がした。
 さて、駅前の賑やかな交差点に出たわけだが、わー教習所と違うぞう、人間など簡単に吹き飛ばせるぞうと全身が冷たくなった。何度でも言う。早くお家に帰りたい。
 そしてヨタヨタ住宅街へ。指示されたコースを走ることはできるのだが、周りが全然見えていないという自覚がある。そんななか、歩行者は「車のほうが避けてくれるでしょ」という態度で困った。信号のない横断歩道なんて、おばちゃんやりたい放題だ。そこへベビーカーが飛び出してきて、ひゃっほう! ホント、みんな何も考えていない。「アホなの? 死にたいの? 頼むよ!」などと脳内でわめく自分が一番アホなのかもしれない。この間も鈴木亮平氏の的確かつ冷静なツッコミが入るわけで、僕はどんどん小さくなっていった。
 後日わかったことなのだが、初回にしてわりと交通量の多い街中を走らされていたらしい。それに加えて、夜間の雨のカオス。路面に引かれた白線が光って見えなかったり、そもそも線がかすれていたり。言い訳無用だけれど、昼間のうちに走行コースの特徴をつかんでおく必要があると思った。
「ちょっとこの辺で道の端に寄って、停めましょうか」わー、何か怒られるんだろうか。長身を活かした頭突きなどで攻撃されたら、ひとたまりもなかろう。「ウィンカーを出す時に、ハイビームが出ちゃってますね」ああ、これは1コマ目から自覚があったんですが、路上に出るにあたって、負のループにハマっちゃったんですねぇ、どうしましょうかねぇ……。「手癖」の一言では片付けられない操作ミスである。右のウィンカーを出す時に、なぜかレバーをグイッと前に押し込んでしまう傾向があると指摘され、なるほど。「ハンドルに沿わせるように、チョンっでいいんですよ」とアドバイスを受け、停車中の車内でせっせと練習してみる。こんなこともできないのか43歳。恥ずかしくて死にそう。そして、焦れば焦るほど前方を照らすハイビーム。「Uh-HIGH BEAMS Uh-HIGH BEAMS……」清春さんの艶やかな姿かたちが走馬灯のように再生される。この後ずっと、黒夢の名曲「BEAMS」が頭から離れない教習となった。
「いや、それにしても、22年ぶりに何かを再開する勇気がすごいですよ。22年前に習ったことをもう一度甦らせるなんて、なかなかできないことですよ!」鈴木亮平氏から渾身の慰めを頂き、おおいに恐縮してしまった。彼いわく、30代40代でペーパードライバー教習を受ける人は多いのだそうだ。みんな、親の介護やら育児やら、人生の一大事に立ち会って気合いを入れ直すのだそう。若い人や女性ならともかく、おっさんでペーパードライバー教習を受けるケースは稀であろう。はよ帰りたい。
 それにしても1コマ50分の教習はあっという間だ。ハンドルを握る手のこわばりが一向に解けないまま、終了時刻が近づく。「そこのミラーが立ってるところを目印に右に曲がってくださいね」と言われ、ハイハイ右ですね……って、ここからは道が無いように見えるけど、大丈夫なのっ!? 「ここが入口ですから、右にハンドル全部回してっ!」と言われましても。侵入者を拒絶する罠のごとき出入口で、実に心臓に悪かった。この教習所の数少ない欠点のひとつだろう。
 大柄な鈴木亮平氏も心なしか青ざめている。彼もこんなアンポンタンを担当したくなかっただろうな。教習所のインストラクターというのは、さまざまな人と関わりを持つわけだから、大変な仕事ですよ。
 車を降りて、とにかくペコペコする僕。「この調子で頑張ってくださいね!」の一言が胸に刺さる。この調子で……いいのか? 初日は親切なお二人に当たってよかった。ここから先、まだ6コマもあるなんて、クラクラする。「Uh-HIGH BEAMS……」と念仏のように唱えながら、無料送迎バスに乗り込む。次回はちょうど1週間後。帰ったら運転教本を読み直そう。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第2回】

 22年前にMT車で免許を取れたことがいまだに信じられない。あまりに下手くそな僕を見かねて、「実際はオートマしか乗らへんからね〜」と教官が声をかけてくれたのが昨日のことのようだ。車を運転するどころか、機械に操られているといったほうが正しい。あのドタバタぶりは、『モダン・タイムス』に出てくるチャップリンにも負けていなかった。文字通り、社会の歯車と化していた。
 ヤなことはさっさと終えたいので、教習所に通う回数が少なくて済む時間割を組んだ。連続する2コマを4日間。最終日の2コマは高速道路での実践である。まだ何もやっていないのに、お腹が痛くなる。
 初日は夕方からの教習で、雨がしっかり降っていた。いつもの調子なら、大好きなGUNS N' ROSESを引き合いに出し、「November Rainが〜」などとうそぶくところだが、雨は雨である。しかも、11月の夕刻は真っ暗。運転にとっての悪条件が揃っていて、身震いする。
 1コマ目。ここの教習所はサービス面で定評がある。教習開始の5分前に予鈴が鳴り、教官がズラッと整列して出迎えるスタイル。昭和の刑事ドラマや戦隊モノのオープニングのような光景だ。日直的な教官が「よろしくお願いします!」と元気よく挨拶し、皆さんが頭を下げてくださる。わあ緊張。22年前の東大阪市某所では考えられない光景だ。あの時はたしか、受付で発行されたレシート状の乗車券を握りしめ、「426」なら「426」と書かれた車のほうにテクテク歩いて行ったのだ。
 この教習所では、案内係の教官が「◯◯さーん!」と同僚を手招きし、生徒に引き合わせてくださる。こちらとしては、なんだか照れるシステムで、無駄に動悸が激しくなる。リメンバー・22イヤーズ・アゴゥ。こういうのって、最初の指導が肝心なのだ。僕の目の前に現れたのは、小柄で爽やかなメガネ女性だった。ニコニコと微笑みながら、こちらの不安を和らげてくださる。ありがたい。そのうえ、レースクイーンが差しそうなでっかい傘まで差してもらった。至れり尽くせりである。
 挨拶を終えると、簡単な問診のようなものが始まった。免許を取ってから一切ハンドルを握っていないこと、買い物や病院の送迎といった日常の場面で役立てたいことを述べる。「どこを押せばどうなるのか、まったくわかりません!」との念押しも忘れなかった。ライト、ウィンドウ、座席の位置調整など、本当にチンプンカンプンだからだ。小柄なメガネ女性、優しく失笑である。
 とりあえずは場内のコースをご案内します、とのことで、助手席に乗り込む。結構なまとまった雨で、視界が狭く感じる。もちろん、路面もビショビショだ。そういえば、22年前の教習、夜間に運転したことはあったかな? 不安が増して、教官のコース説明がまるで頭に入ってこない。
 いよいよ運転席へと移動。まずはミラーや座席の位置を確認するのだが、いやあ、わからないものですな。新幹線のシートを倒すのとはわけが違う。身を縮めたり伸ばしたりしながら、ようやく整いました(ねづっちです)。この時点で、すでに大汗をかいている。極めつけはハンドル位置の調整だった。こんなこと、22年前にやった記憶がない。ハンドル下のレバーをいじると、ガコンッと音を立てて外れた。頑丈なようでいて、簡素な構造だなあ。「車は、人を殺せる道具です」とアシスタント時代の僕に説いたツベタナ先生の顔を思い出す。エンジンをかける前から心が折れている。
 エンジンといえば、昔のように鍵を差し込んで回す方式ではないのだ。ボタン一発でブロロロッと起動するだなんて、未来そのもの。感激するレベルが、いちいち低すぎる。
 各種調整が終わり、いよいよ場内へ。22年前の教習では、数コマだけAT車を運転した記憶がある。MT車は「動かすぞ!」という確固たる意思がないと、動かないようにできている。その一方、AT車は、何もしなくてもスーッと動き出してしまう感じが怖い。
 親切な指導にしたがって、上ずった声で「はいっ! はいっ!」と返事する自分が恥ずかしかった。右折左折に道路標識、一切合切わからない。しかも、雨に濡れた路面が光り、なんだか恐ろしい。夕刻の教習所内はラッシュの様相を呈しており、行く先々でちょっとした渋滞になっていた。ウインカーを出すというシンプルな動作でさえも必死だ。所内を何周かグルグルしたわけだが、暗くて、道のどの位置を走ってるのか不安になる。そんななか、S字カーブとクランクのことは何故か体が覚えていて、一発でパス。自分という人体の仕組みがますますわからなくなった。
 さっき動かし始めたばかりなのに、もう終了時間に。いやはや、それぐらい内容が濃かったと言えよう。ここ10年で最大級の集中力を注ぎ込んだ気がする。こんなアンポンタンな僕にも、我慢強く指示してくださったことに感謝である。初回にしては、まずまず……だった……のか? 

 最後までにこやかに対応してくださった教官から、主に2点アドバイスを受けた。

①速度を十分に出すことを恐れている。
②交差点を曲がる時にハンドルを切るのがちょっと遅い。

 ①に関しては、自分でもこわごわ運転しているのがわかった。アクセルの踏み加減とスピードが体感的に結びついていない。こればっかりは慣れなのだろうか。②については、体と車が一体化していないと言われたようなもので、ひたすら恐縮。ここから1カ月かけて、修整を繰り返していくしかないだろう。

 「こんなんで次の段階に進んでいいのかな?」と激しく疑問に思ったが、次のコマからは路上教習を受けることとなった。「実際の道を走れば、スピードの出し加減が掴めますよ」とのことらしい。うーん、そういうものなのかな。とにかく、お疲れ様である。家に……帰りたい……。

 なんだか長くなってしまった。初日の2コマ目は次回。いよいよ路上に出た自分がハマったのは、意図せぬハイビーム地獄だった。