志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第4回】

 教習初日から1週間が経った。本日も夕刻、しかも2コマ連続で路上だ。受付のおねえさんから、あらかじめトイレを済ませておくように念押しされる。つまりは休憩時間なしのぶっ続けである。相性の悪い教官に当たったら、悲惨なことになるなあ。
 手元の予約カードに、その日の教習担当者の名前が書かれていることを知った。周りの生徒たちはそれを受け取るなり、入口付近のボードに向かっていく。なるほど、インストラクターらの氏名、顔写真、趣味が貼り出されているではないか。これを確かめてから、始業時のねるとんパーティ(死語?)風ご対面に臨むというわけだ。前回は緊張のあまり、このボードのチェックを怠っていた。
 本日、僕を指導してくださるのは亀田さん(仮名)。「亀のようにゆっくりと学びましょう」が信条なのだという。町役場の窓口にいそうなおじさんである。黒いアームカバーをはめて、実直に仕事をこなす人。派手さはないが、チームに1人はいてほしい存在。昭和30年代の映画に出てきそう、送りバントが得意そう、というのが写真を見た第一印象だった。好きなドライブ先は軽井沢だそうだ。心底どうでもよくて、少し笑ってしまった。
 このプロフィール一覧は一定の効果を発揮しているようで、生徒たちはホッとしたり、顔をこわばらせたりしながら、教習コースへと散っていく。ペーパードライバー教習は対象外だが、この教習所では、自分のお気に入りの先生を指名できるらしい。その一方で「この人だけはご勘弁」というふうに、拒否権も発動できるようだ。今時の教習所はそこまでしないと立ち行かないのかしら。
 インストラクターの顔ぶれもさまざま。一覧の中には、こだわりのマイカーを自慢する人もいれば、熱心なベイスターズファンもいる。なかでもグッときたのが「B'z PARTYの方、語り合いましょう!」と書いている女性だ。この場でB'zの公式ファンクラブ名を出してくるあたり、切実な訴えなのだと直感した。ご指導を受けるチャンスはなかったが、「くれぐれもLADY NAVIGATIONでお願いしますよ、ワハハ!」なんて、曲名にちなんだ小粋なやり取りを繰り広げたかった。ちなみに、前回担当してくださった鈴木亮平氏は「二郎系ラーメン巡り」が趣味だそうで、勝手に納得した。
 さて、コースへ向かわねば。予鈴が鳴り、教官全員集合のご挨拶。毎時間、めんどくさくないのかなと思うが、このルーティンのおかげで、皆の気が引き締まるのかもしれない。いよいよ亀田さん(仮名)とのご対面である。結論からいうと、この方が全日程のなかで一番よかった。要するに、完璧に波長が合ったのだ。指導が的確なうえに、ホテルマンのごとき物腰の柔らかさが素晴らしかった。教習車に案内されるときに「お足元にご注意ください」と言われたのには動揺したが。
 タイヤの点検後、まずは前回までにどんな苦労があったかを説明。夜道の走行が怖いことやうっかりハイビームを出してテンパったことなど、失敗談に耳を傾けてくださる。「緊張のしすぎはよくありません。あんまりカタくならないことですよ」と穏やかな助言を得て、適度に力が抜けた。亀田さん(仮名)が素敵なのは、どんな些細な質問にでも丁寧に答えてくださるところ。こちらが困惑する前に、必ず「今やったところまでで、何かわからないことはありますか?」と助け船を出してくれた。僕がミスするたびに舌打ちしたり、嫌な顔をする教官とは大違いである(20年前の教習ではそういう輩もいた)。教える立場の人は、人格も技術も一級品であることが理想だが、そんな「理想」が亀田さん(仮名)の形をして現れたのだと解釈した。

 11月の夕刻は5分ごとに空が暗くなる。まずは前回トラウマを植え付けられた「教習所の出入口」を突破せねばならない。河川敷の縁を上りながら苦手意識を吐露すると、「ああ、ここは無視していいです!」と潔いお答えが返ってきた。無視してエエんかい! なんでも、このよくわからない出入口の存在が受講生を悩ませているそうで、それ以外の路上コースを快調に走れれば問題なしとのこと。自分だけが困っていたわけではないとわかり、ちょっとホッとするのであった。

 今回は2コマ連続ということで、バンバン車が走る道を使用した。要するに、周りの車の流れに乗っていかないと、煽られたり嫌な顔されたりする可能性が高い道。それでも平常心に近い状態を保っていられたのは、亀田さん(仮名)の亀の精神のなせる業だといえよう。土地勘がないもので、どこを走っているのかはサッパリわからなかったが、50キロをキープして走行したり、車線変更したり、アホほど右折したりと、非常に効果的な練習を重ねることができて満足。夜道では、前の前の車のあかりを手掛かりにすると、次の行動に移しやすいことなど、ためになる小ネタをたくさん提供してくださった。亀じゃなくて神なんじゃないか。

 時折ユーモアを交えながらの2時間弱の教習は、名残惜しさすら感じるくらいあっという間だった。終始和やかな空気だったが、自転車のおじいさんがヨロヨロと寄り添って走行してきた時だけは、ピリッと緊張感が走った。「いるんですよね、こういうじいさん。この手の人はなんにも交通ルールのことを考えてません。空気も読みません。私から言えるのは『じいさんに気を付けろ!』ということだけです」とほくそ笑む亀田さん(仮名)。教習所に着いてから聞かされたのだが、今日僕が走ったルートは難易度の高めのコースとのこと。なるほど、マンションが乱立する住宅街の脇を走る際の恐怖心はホンモノだったわけか。そこへ、天然のじいさんが……。とにかく、よい教訓になった。
 帰り際に、その場で書かれたメッセージ入りの名刺を差し出された。「次回もこの調子で頑張りましょう!」ですって。なんてことのない言葉だが、今の僕には限りなくあたたかい。いや、この方にあたってよかったよ。この教習所の良心だよ。帰りにファミチキを買い食いしたくなる程度には気分が良い。次回は1週間後で、これまた2コマ連続。「ずっと路上だけやるという手もあるんですが、次は『車庫入れ』をやってみてはいかがですか?」と神、じゃなかった亀さんがおっしゃるので、はいはい是非是非よろこんで! とその提案に乗ってみることにした。そして、車庫入れの地獄を味わうことになった。じいさんに気を付けろ!