志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と大学【第1回】

 本格的に新年度が動き出した。この歳になっても、4月特有の落ち着かなさが苦手だ。新しい環境に身を置くときは期待と不安が入り混じるもの。僕は入社式というのを経験したことはないが、入学式ならそれなりの数を見てきている。合言葉は勇気。これから本連載に書くことが、最初の一歩をなかなか踏み出せない人にとっての何らかの手助けとなれば嬉しい。

 このところ、僕の感情は静かにしかし激しく揺さぶられており、じっくりと思考する時間を確保しないと押しつぶされそうになっている。その原因が何なのかわかってはいるのだが、あまりこういう場所で公表することでもないし、何事かを発信するにしても遥か彼方で、ということになるだろう。闇に呑まれる前に、自分の歩みをしっかりと整理しておきたい。好奇心が健全に開かれていた時代を振り返れば、強く生きるヒントになるだろうから。

 大学という場を離れてから10年が経つわけだし、そろそろあの頃のことをちゃんと書いてみてもいいと思った。今なら客観的な距離を保って、濃密な日々を振り返ることができるはずだ。高校までの友人は20代以降の僕のことを知らない。物書きになってから出会った皆さんは、大学に生息していた頃の僕をご存じない。在学中に仲良くしてくれていたみんなも、大学生あるいは大学院生の志村の一部分しか知らなかったのである。まさに一期一会の織り成す物語。今回は家族にも言っていないようなことを書いていく覚悟を決めた。もちろん、特定の誰かに迷惑をかけない範囲で。

 

 国際基督教大学教養学部人文科学科卒業。

 同大学院比較文化研究科比較文化専攻博士課程修了。

 博士(学術)。

 

 著者略歴を要求された場合、僕はこう書くようにしている。文筆業を始めた頃は名刺の裏にもこのプロフィールを書いていたのだが、さすがに今はやめてしまった。ただの自慢、と受け止められることのほうが多いように思えたからだ。さらには色眼鏡で見られることにもつながってしまう。「ICUなんですね、英語できるんですね」と勝手に解釈される危険もある。英語はともかく、僕はいつだって、僕という個人を見てほしい気まんまんなのだ。

 つい最近までICUの文字を週刊誌の吊り広告などでよく見かけたが、ようやく適度に落ち着いたようである。あのフィーバーぶりは何だったのか。僕の口から言えるのは、「ICU出身者を見るときは、その人個人の能力や性格を見てください」という点に尽きる。実に多種多様な個性が集い、大学という集合体(しかも小さい)を成しているのだ。これは入学時におおいに戸惑う部分でもあったけれど、だからこそ豊かな出会いが頻繁に訪れたのだろう。誰が言い始めたのか知らないが、「Isolated Crazy Utopia」(孤立したキ〇ガイの理想郷)なる略称が代々伝わっている。在学中はこの字面を見るたびに、なんとセンスがなくこっ恥ずかしいことか! と悶絶していたのだが、おっさんになった今となっては、言い得て妙、としか言いようがない。

 そんな「International Christian University」(国際基督教大学)の何に期待して入学したのかと問われれば、ずばり「大学」の部分だった。なんでもできるリベラルアーツ。迷える若者にとって自由度の高いカリキュラム。そして僕が大学入学後にやりたかったのは、思う存分、本を読むことだった。

 僕は1年の浪人期間を経て2000年にICUに入学した。高校生の頃からこの大学に狙いを定めていたわけではなく、願書の締切ギリギリまでアウトオブ眼中(言い方が古いな)だったことを告白しておこう。予備校の国公立理系クラスで、誰に頼まれたわけでもないのに医学部を志望。理想と現実のギャップの大きさを知り、盛大に挫折し、無為に過ごす日々。そんなある日、「これぞ理想の大学!」と友人が興奮を隠さずに見せてきた入学案内のパンフレットが運命の出会いだったのだ。そこに紹介されていた学びの内容があまりにも魅力的で「自分はこの大学に呼ばれている」という気さえしたものだ。そして一番の決め手は、森に囲まれ、どこまでも芝生が広がるキャンパスだった。入試の下見(といっても本番前日だが)で初めて大学構内に足を踏み入れたときに感じたのは、僕が愛した「ハーシー」の風景そっくりということ。なんだか胸の真ん中あたりに火がともった気がした。

 他のいくつかの大学は落ちたが、大本命だけには受かった。合格の報せを受けたときは(レタックスだったかな?)、職場にいる父に電話をかけ、ワンワン泣いた。この辺のメソメソ話は、その頃いろいろあったんだなぁということで割愛。大事なのは、第二志望の学科に受かっていたことだ。人文科学科。入試ギリギリまで理系クラスに在籍していた自分にとって、未知かつ甘美な響きである。そこが何をするところなのかよくわかっていなかったが、たぶん己のやりたいことはここら辺にあるだろうという見当のつけ方がお見事と自画自賛してしまう。ちなみに、第一志望は国際関係学科だった。今にして思えば、もっとも行かなくてよかった学科だなぁ。まあ、その辺の話もおいおい。

 こんなふうに、ある種の宿命に導かれ、大学生活が始まった。東京での初めての一人暮らし。4月生まれの僕はハタチになろうとしていた。

 連載第1回というよりは「第0回」のような趣きになってしまったが、まあよかろう。書きたいことは、書いていくうちに浮かぶと思う。気長にやりましょう。次回は大学1年から2年あたりの歩みを振り返ってみたい。