志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と大学【第2回】

 学部1年生だけを切り取っても、思い出が膨大にある。つまりは幸せだったということなのだろう。この時期は浪人時代までの出来事をきれいさっぱり忘れて、新しい自分に生まれ変わろうとしていた。「大学デビュー」を狙ったわけではないが、ハタチの頃の吸収力は並大抵のものではなく、好奇心の泉が涸れることはなかった。

 大学の所在地は三鷹市大沢。「辺境」という語がしっくりくるような、都会の喧騒から切り離された土地である。JR中央線武蔵境駅から15分ぐらいバスに揺られるのが一般的なアクセス方法だが、地方出身者のほとんどは武蔵境、東小金井、三鷹周辺に下宿し、自転車で通学することになる。その小回りの良さに気付いた自宅通学組も結局、武蔵境~大学はチャリで移動したりするのだが。ちなみに、おしゃれな都会の空気に触れたくなったときは吉祥寺で決まりだ。学外での青春のあれやこれやは、だいたい吉祥寺で起こるものである。

 話を元へと戻そう。僕は武蔵小金井の6畳ワンルームで新生活を開始した。大学に近すぎると溜まり場になってしまうだろうという予感と、東京出身で鉄オタの父による直感が決め手だった。たしか、春学期(ICUは3学期制)は2つ隣の武蔵境まで電車で移動し、バスに乗ってキャンパスまで行くという面倒な方法をとっていた。何人ものクラスメイトからチャリのほうが便利と説得され、秋学期からはおっかなびっくり自転車通学を始めたのだった。これが効果てきめんで、小金井から三鷹にかけての四季折々の風景を満喫しながら有酸素運動を行うことができた。その後、痩せたり太ったりを繰り返すのだけれど、友人たちの間では脂肪の塊と認識されている。

 あまり公にはしていないが、僕は大学のこの時期まで自転車に乗れなかった。ティーンエイジャーの頃に乗る必要を感じなかったうえに、小学生のときの自転車訓練由来のトラウマのようなものを抱えていたからだ。人間、究極の必要に迫られると、なんとかなるものと知った貴重な経験である。

 入学式の翌日ぐらいに、英語のクラス分けのためのTOEFLを受けさせられた。ことに学びの面において、ICUは容赦ない。そんなものを受検したことはなかったので、頭がクラクラしたのを覚えている。とはいえ、そこは夢と希望に満ちた新入生。ベストを尽くした結果、僕は能力別に大きく3グループに分けられたうちの真ん中のクラスに所属することになった。ちなみに、すでにネイティヴ並みの英語運用能力を獲得している者はこの1、2年次の英語教育プログラム、通称ELP(English Learning Program)が免除される。それはそれで、この大学に来た意味のほとんどを剥奪されるような扱いだと思うのだが、どうなんだろうか。

 2年生の序盤ぐらいまで、この20人ほどの少人数クラスが学内の行動の基本単位だったように思う。ICUの男女比は男:女=4:6とか3:7といった塩梅で、女性のほうが多いのである。男子校出身の僕は常に赤面……ということはまったくなく、ごく自然体で周りのみんなと接することができた。男女ともに、打てば響くような賢い人が多く、毎日、驚くべき刺激を受けていた。ハタチの頃の僕は知的にハイになっていたとも言える。理想的な環境で、優秀な同級生に囲まれ、これ以上何を望むのだろう? 自分が本当にやりたいことは何なのだろう? 青春の自問自答がここに始まった。