志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

ペーパードライバー狂習【短期集中連載:第5回】

 瞳の奥に宇宙が宿る。あるいは無数のヒヨコたちが頭頂を旋回する。この日の僕は2時間の車中でずっとそんな状態だった。亀田さん(仮名)の提案により、今日は車庫入れの特訓に励むのだ。トイレに行けない連続2コマ。1コマ目が快調ならば、2コマ目で路上というプランだったのだが、そううまくはいかないもの。前回の教習が想定外のおもてなしだとしたら、今回は想定内の居心地の悪さである。
 ご対面の前に一応、例の教員一覧をチェックしてみた。だが、今思い出そうとしても、ツッコミどころのないプロフィールで、ただただ「頭の硬そうなおじさん」という印象しか残っていない。フックのある自己PRって大事だなと感じ入った次第。人の性質は挨拶ひとつでだいたいわかってしまうものだが、「あっ、この人はアカンな。こっちの話を聞いてくれそうにないな」という予感は的中で、コミュニケーションに難儀した。まあ、今までに優しい先生方に当たったのだから、今回は我慢かな。
 少なくとも「わからないことはなんでも質問してくださいね」というタイプではない。車に乗り込み、サイドミラーの調整に手間取っている僕を見て、「そんなこともわからないの?」といった調子だ。やたら高圧的。こりゃ、初々しい学生さんたちからは嫌われているとみた。
 どうたとえれば正解なのかわからないが、毒蝮三太夫から笑いの要素を抜き、ぶっきらぼうにした感じのおじさんだ。ペーパードライバー歴やこれまでの教習での困難を述べてみたものの、あまり手応えがない。「とにかく今日は車庫入れなんでしょ。お手本は見せたほうがいい?」といった態度。お手本見せないでどうやって指導しようというのか毒蝮。よろしくお願いします。
 ところが、このお手本があまり頭に入ってこない。車庫入れにおいては教習過程で言うところの「方向変換」が肝になるそうなのだが、ハアハアと相槌を打つのみ。「ホラ見てて。前の車、失敗するよ」と他の教習生の悪戦苦闘を「悪い見本」として示すのも、なんか嫌だった。
 この日、唯一良かったと思えたのは、これまでよりも早い時間帯のコマを取れたことだ。つまり、悪夢の日没〜夜間の道を走ることなく、見通しのよい状態で練習を行えた。しょうもないことだが、ペーパードライバーにとって、この安心感はかなり大きい。
 久々の所内での運転ということもあり、緊張していた僕は「一時停止」のところを十分に停止せずにスーッと行ってしまった。教習所内の標識の類は乱立していて見にくいものだが、まあ、これは言い訳にならない。ボヤボヤしていた僕が悪い。今までのインストラクターなら、こちらが問題を起こす前に助け舟を出してくれたが、毒蝮はコトが生じてから「何やってんの? 外なら捕まるよ」と言ってくるタイプ。密室の中、不快な汗が滴る。初回とは別の意味で、お家に帰りたくなってくる。
 ホンマ、これ以上カチンとくること言うてきたら、暴走して爆発したろかな、ハンドル握っとんのは、おれやで! と、崇高な気概を胸に秘め、僕は深呼吸した。よく考えてみれば、まだ何も指導してもらってないではないか。きっと、時間が解決してくれる? 今日はハズレと開き直り、助言を謙虚に受け止めよう。
 後から知ったことだが、教習本科では車庫入れを積極的に教えないものなのだそうだ。言われてみれば、20年前にそんなスキルを練習した記憶がない。バック駐車の前段階の「方向変換」までは面倒を見る、というのが全国の教習所のスタンスらしい。日常生活における最重要項目がすっ飛ばされているという恐怖。ペーパードライバーとしては、車庫入れの練習ができる機会は貴重だ。
 毒蝮によると、バック駐車には2つのやり方があるという。いきなり直角に入れる方法と、車の「頭」を少しずつ左右に振って入れる方法。前者は難度が高いそうなので、僕は迷わず後者を選んだ。ここからは尻文字でも描いて実演したくなるところだが、駐車のコツというものは必ずあって、指導に忠実に従えば、それなりの結果が得られるのであった。肝は、車両感覚を掴むこと。そして、サイドミラーを十分に活用すること。この点、S字カーブとクランクにそれほど苦手意識を持っていないことが幸いした。
 毒蝮の言動はいちいちグサッと刺さるが、一旦謙虚に受け止めてみれば、有用な意見ばかりだった。ハンドルを何回回したかわからなくなった時は「元に戻せばいいじゃない」。駐車スペースに偏りが生じたら「幅寄せすりゃいいじゃない」。自分の位置を見失ったら「ミラー使えばいいじゃない」。いいじゃない、いいじゃない、調子いいじゃない。
 たとえ自分と相性の悪いインストラクターに当たっても、うまくできた時の感触は大切にしたいものだ。まあ、折に触れドアを開いて、歩道との間隔を確認させるのにはムッとしたけれども。そうかと思えば、「運転教本持ってきてないの!? ダメだよ〜! あれに全部書いてあるんだから」と車を停め、待合所に駆けていく毒蝮であった。数分間、教習車に取り残される僕。ちなみに、このペーパードライバー教習では、運転教本は「サービス」の一環として支給されるため、持参の義務はなかったことを申し添えたい。なんでこんなに悪者にされなきゃならんのだ! とも思ったが、教本の該当ページを示し、丁寧に解説してくださる毒蝮の愚直さ(?)に心打たれたことも事実だ。いわゆるツンデレとも違う、独特の味。毒蝮には毒蝮なりの教習理念ってものがある。一本筋の通った指導のおかげで、車庫入れの基本は掴めたような気がした。いや、いい経験になった2コマでした。
 今回の教習では、運転時の妙な癖も自覚した。交差点を曲がったり、車線変更する際、ハンドルを操作しながら「ヨイショ」と小声を発してしまうようなのだ。毎回というわけではないが、テンパった時によく出る模様。我ながら、キモかわいいなと思った。思い返してみれば、この件に関して、どの先生からも指摘がなかったのが恥ずかしい。

 次回はいよいよラスト、2時間の高速教習である。スピードを出すことも怖いが、それ以上に不安なのが料金所の出入りだ。果たして自分は生きて帰れるのか。スマートに小銭の受け渡しができるのだろうか。ヨイショ!