志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と大学【第5回】

 前回の記事からだいぶ間隔があいてしまった。なるべくイイ心持ちで更新したいのだが、とびきりハッピーな日というのがそう多くはない今日この頃である。文筆の神様の降臨を待っていたら、1本の記事を更新するのに2年も3年もかかってしまいそうで怖い。とりあえず、先へと進めてみる。

 かなり真面目に学部時代の前半を過ごしてしまった僕は、自分が本当にやりたかったことを実行に移せていないのではと考え始めた。男女問わず何人も友達はできたけれども、その幅をもっと広げたい、趣味のことなど深く語り合える仲間が欲しいというのが本心だった。でも、自分の趣味って何だ?

 どうも僕は音楽を聴くのが好きらしい。さらに言えば、ティーンエイジャーの頃から、バンドをやることに強い憧れを抱いていた。たとえば、高校の学園祭でバンド演奏を披露する同級生のことがとても羨ましかったのだ。と同時に、「自分ならこうやるのになぁ」と上から目線でその光景を見つめていたのも事実。これだけ音楽が好きなんだもの、おれがステージに立てばきっともっと上手くやれる! とさえ考えていた気がする。若いって、怖い。これはもう、モテたいとかそういうことを超越した表現欲に近いものだったといえよう。

 「自分はそういうキャラじゃないから」「きっと似合わないだろうから」そういった理由で、心底やりたいことに蓋をしてしまうのは、なんと勿体ないことだろう。9.11後の僕は、惰性で過ごす時間を嫌うようになっていた。大袈裟な物言いではあるが、ここで人生の選択肢を間違えると、つまらない人間になってしまうと思っていた。

 2年生の秋、僕はICUロック系軽音サークルMelody Union(通称メロユニ)に入った。入ったといっても、しばらくは週1回のミーティングに参加するだけだったのだが。ここからステージに立つまで、実に半年の時間を要することとなる。ここら辺が、なんでも慎重派の僕という人物を物語っていますね。

 たまたま、1年次の英語クラスの同級生が部長をやっていた時期だったのだ。「難しいこと考えずに、とりあえずミーティングに来てみなよ」みたいなことを言われて、ほいほい顔を出したのが、メロユニの人たちとのファースト・コンタクトだった。その後、何年も時間をかけて和気藹々としたサークルへと変貌するのだが、この時点では、「良くも悪くも、やな感じ」な雰囲気で、新参者に対して冷たい印象があった(のちにそういう誤解は解けるのですが)。

 自己紹介ではベーシストということにしておいた。本当はヴォーカルをやりたかったのだけれど、初対面の人たちにそんなことを言ったら、痛いヤツだと思われてしまう! そんな恐怖があった。1年生の時に買ったベース(Burnyの黒のモッキンバード型)を所持していたから、嘘はついていないはず。ただし、弾けるとはひと言も言っていないけれども。

 「SLAYERとかSLIPKNOTが好きです、あっ、でもでも、スピッツ尾崎豊なんかも聴きますので仲良くしてください」と言ったら、プププと失笑された。それもそのはず、当時の上級生はいわゆるロキノン系のオルタナ愛好者が多く、ハードロック/ヘヴィメタル好きを公言している人はレアだった模様。J-POPのアーティスト名を挙げても、生暖かい目で見られそうな空気があったし、ヴィジュアル系など小馬鹿にされそうな気配だった。

 実はこの時、一番好きなGUNS N' ROSESのことは1mmも口に出さなかった。そのバンド名を口に出して否定でもされたら大変だ、居場所がなくなる! X JAPANとHIDEについても、ここぞという時に出すべき名前ということで、いったん封印しておいた。というわけで、さっそく幽霊部員になる要素はあったが、少しずつ周りとの距離を縮めていき、自分が一番輝いていた時代のひとつへと至る……のだけど、この話は次回以降だな。

 課外活動が充実し始める一方で、肝心の学問はどうなったか。この頃から、のちに卒論と修論の指導教官となる並木浩一先生のオフィスに頻繁に顔を出すようになる。先生は、公式なオフィスアワー以外の時間も常に研究室の扉を開け放した状態で、よろず相談承りますというスタイルだった。これが良かった。

 先生の授業(「聖書学概論」?)の期末試験で、その学期の自己評価をエッセイ形式で書いて提出するという課題があった。赤字のコメント付きで返ってきたその答案を見たときの感激を忘れない。「アハハ!」という言葉とともに「作文賞」という文字が添えられていたのだ(たしか成績はA-)。ああ、僕は並木先生を楽しませることに成功したんだなという感慨を抱いた。と同時に、自分は物が書けるのかもしれないぞと自信を得た出来事でもあった。

 旧約聖書学が専門の並木先生ではあるが、僕はまーったく宗教方面の人文科学を学ぼうとは思っておらず、先生の知的刺激に富んだ仕掛けづくりに惹かれていた。ここで文化創造のダイナミズムを感じたことによって、「こんなふうに学問を楽しめるのなら、このまま大学院に行くことが自然だよなぁ」と思えたのである。

 そうこうするうちに、あっという間に学部時代は折り返し地点。自分がもっとも輝いていた時代、すなわち、遅れてきた大学デビューであるところの3年生が始まるわけである。僕が初めてステージに立ち、舞台芸術やパフォーマンスに関心を持つ入口となった学年。ようやく、本題めいたことを語れるかもしれない。

 一時期、中二病という言葉が流行ったけれども、大学2年生にして、僕はまさにそんな状況に陥っていた。自分では年相応のつもりなのに、傍から見れば、ずいぶん背伸びした言動を繰り返していたように思う。思い出すこと、思い出したくもないこと、たくさんあるが、何もかもが甘酸っぱい……。

 なんかこう、実名を出さずにメロユニ(これは実名か)のあれやこれやを書くのは技量が要るな! こういうときに、小説という手法が生きるのかもしれない。この連載、ある時点から小説に化ける可能性があります。