志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と英語【第2回】

 2月が終わり、3月になった。3月が終われば4月がやってくる。輪廻転生。色即是空。焼肉定食。卒業シーズンになるとうっすら思い出すのが、浪人時代のことだ。この辺の時期については「うっすら思い出す」に留めるのがコツで、うっかり「じっくり思い出す」ようになってしまったら、闇に飲まれるのは必定。いろいろあったもんなぁ……。

 おっさんになってしまえば、浪人時代の1年間なんてどうってことないのだが、多感だったあの頃は、本当に毎日いじけて暮らしていた。高1までは英語を軸としながら誤魔化していたけれども、いざ文理分けという段になって、理系クラスに入ったのが大間違い。数学も理科も得意でないくせに、見栄を張るからこうなる。暗黒時代の鬱屈をこの場で吐露してもつまらんので、せめて希望のあるお話を。

 僕の受験期における数少ないポジティヴな要素が駿台予備学校(関西)の表三郎先生の英語の授業だった。表先生の指導の肝は「ポスト構文主義」に則り、英文を「前から訳す」こと(こんなふうに、かいつまんで説明できるものでもないが)。先生の哲学については、名著『スーパー英文読解法』(論創社)をお読みいただくのが最善策だろう。ここに書かれていることは、受験生というよりも大学生以上になってからのほうが役立った。あらゆる意味で、徹底的。僕は浪人の1年間、この本(上下巻)をノートに手書きで丸写しすることに費やした。ちょうど家庭内にも暗雲が立ち込めていた時期、それはもう、祈りにも似た行為だった。浪人時代を含め2~3年間、彼の独特の講義を受けたことは、自分の読み書きの下地を作るうえで非常に大切なプロセスだったのだと思う。

 僕は良くも悪くも日本的な受験英語に毒されておらず、たった1年の米国生活で得たフィーリングだけで10代を過ごした。単語やイディオムを丸暗記することが大嫌いだったため、受験期にはどんどん周りに追い抜かれていった。でも、あれはあれでよかったんだと思う。表先生の刺激的な話術を浴びて身につけたのは、クリティカル・シンキング、つまりは批判的思考である。この視点は大学に入ってからおおいにプラスとなった。

 僕が文章を書く際に心がけていることは、ただ一点、論理的であることなのだ。これは、どんなにエモーショナルな文章を書く際にも言えること。ただし、おっさんになってからは、論理からはみ出したもののほうが面白いということに気付いたんですけどね。

 表先生といえば、情況派の表。「裏あるところに表あり」なのだ。今となっては遠い昔話のようになってしまった感もあるが、学生運動盛んなりし時代の左翼の大物なのですね。「なのですね」って言い方もどうかと思うけれども。僕はべつに思想的にかぶれることもなく、そもそも先生の講義自体に変な偏りがあったわけでもなく、すくすくと知識教養を吸収したのだった。とにかく、先生には体の内側から湧き出るカリスマ性があった。

 表先生の講義と著作がなければ、僕は卒論のテーマにバフチン(ロシアの文芸学者)のカーニバル論を選ぶことはなかっただろう。卒論のタイトルは『バフチンにみるテクスト概念の拡張とその再解釈』……だったかな? だったよな? 大学で学んだことさえも遥か昔のことのようです。この主題がその後かたちを変え、笑いや道化の研究へと至るのだから、面白いものだと思う。

 高校時代の晩年は本当にクソみたいに嫌な時期だったけれども、強烈な出会いによって道が開けた季節でもあった。大事なのは、相手が誰であろうとも、どんな肩書を持っていようとも、好奇心を常に開いた状態にしておくことかと。ちなみに、『スーパー英文読解法』を「写経」した人で物書きにならなかった者はいないという。果たして僕は物書きになった。すべては英語によって導かれた道だったんだな……。