志村つくねの父さん母さんリヴァイアサン

文筆家・志村つくねの公式ブログ。本・音楽・映画を中心に。なるべくソリッドに。

僕と大学院【第6回】

 毎朝楽しみにしていた朝ドラ『らんまん』が最終回を迎えた。あまりドラマを観る習慣のない僕だが、ここ数年、ちょっと考えるところがあり、生活のペースを整える意味でも、連続物を鑑賞するようになった。『らんまん』のストーリー展開や人物造形が秀でていたのは言うまでもないけれど、主題歌のあいみょん「愛の花」が回を追うごとに大きな意味を帯びてきて、「わあ、良い歌詞書くなぁ!」と感服。なかでも「私は決して今を 今を憎んではいない」というフレーズの引力が凄い。天真爛漫がゆえに大学関係者といろいろある万太郎の苦悩を想ってジーンとくるのである。さて、僕の大学院物語の続きだ。

 3本の博士候補資格論文の審査に合格し、お次は中間報告という段階になった。中間報告といっても、単に進捗を報告するのではなく、「博論のほぼ完成形」が求められる。気合いを入れなければ突破できない関門である。前にも言ったが、人文系では、最短の3年で博士課程を終える人は滅多におらず、工夫を凝らして学生の身分を延長するのが通例だった。要するに、自分なりに時間を作って、最大限もがくのだ。
 僕は日ごとにTAのスキル(印刷、報告、密偵など)を身に付け、スキマ時間を見つけては、関心分野の読書に励むという生活を送っていた。狂言や歌舞伎に足繁く通い、                                                                   お金の許す範囲でライヴにも出かける。もちろん、必要に応じて講義を聴講したり、ゼミの発表に参加したりするのだが、ボーッとしているように見えて、これがなかなか忙しい。この時期に「そんなのは忙しいうちに入らない」と謎のマウントをとってくる社会人などが周りにいたけれども、この手の想像力と思いやりを欠いた人は、きっと仕事ができないと確信している。僕は昔から、「自由を謳歌しているように見える奴は懲らしめてやる!」といった思想の持ち主に目を付けられる傾向がある。

 それはともかく、単調になりがちな博士課程生活に劇的な変化が訪れた。結婚である。2009年(29歳)を境に、自分のことばかり考えてはいられなくなった。お相手は以前にも述べたメロユニの後輩。「軽音の先輩・後輩で大団円を迎えてヒューヒューだぜ!」みたいな言われようもするのだが、それは非常に精度を欠いた野次だ。心身ともに新鮮でいられるのは若い季節のみである。結婚なんて生易しいものではない(ということがここから何年後かにわかる)。あと、何故だか知らんが、僕が「電撃的に」結婚したり、「学生結婚」したと勘違いする人も少なからずいたようだ。何も知らん他者ほど、スキャンダルを作り出したくなるものらしい。今でもたまに「なんで結婚したの?」と問われるが、僕はその度に「機が熟したから」と答えるようにしている。物件探しと同じで、タイミングとご縁の賜物だと思う。

 結婚式はごく限られた親族のみの少人数で行った。海の見える、たいそう立派な式場で、ちょっと身分不相応かもなぁとも思った。でも、集まったみんながすごく幸せそうな顔をしていたから、こういうことはちゃんとやっとておくものだなと開き直った。神は僕らの門出を祝福している。そう信じていた。無邪気なものだったと思う。

 二次会は渋谷に移動して、レストランを貸切にしての開催。こちらはメロユニの仲間を中心に、「友人編」のパーティーだった。会費を集めてお祝いしてもらうという、日本式(?)の非常に厚かましい集いだったけれども、久々に再会する人もいて、嬉しかった。そして、自分たちだけのために駆けつけてくれたことにおおいに感動した。「感動」という言葉は、こういうときにこそ使うべきだと、今でも思う。

 三次会はカラオケだった。SHIDAXのやたらとデカい部屋に30人ぐらいはいた気がする。幻だったかもしれない。文字通り、朝までどんちゃん騒ぎ。有志が一人ひとり、お祝いの歌を披露してくれるなか、請われて、GUNS N' ROSES「Welcome To The Jungle」とEXTREME「More Than Words」を歌った気がする。感涙にむせぶことも忘れるほど疲れ果てていたが、みんなの温かい気持ちが胸に刺さって、本当にありがたいことだと思った。たまに生きていくのが辛くなった時、あの光景を思い出しては、自分を奮い立たせている。あの日以来会っていない人も大勢いるなぁ。皆さん、お元気でしょうか。どうか、元気でいてください。

 この結婚を機に、僕は上京してから10年暮らした武蔵小金井を離れた。自然に囲まれた素晴らしい環境だっただけに、引っ越し当日は妙に感傷的になった。大家さんに最後のご挨拶をして「いい人に入ってもらえてよかったわ」と言われたときは言葉にならなかった。荷物を抱えて乗り込んだタクシーから見える小金井公園の桜並木が綺麗で、目的地に着くまでずっと泣いていた。

 中央線沿いにまだまだ生息する気まんまんの僕は、次なる場所として阿佐ヶ谷を選んだ。阿佐ヶ谷にまつわるエピソードも長いのだが、それは追い追いお話しすることになるだろう。みんな知ってると思うけど、これまた良い街ですよ。

 こんなボンクラな僕でも、この年の夏に新婚旅行をやってのけている! 行先はイタリアだった。ちょうど妻の友人がフィレンツェに留学中というタイミングを活かして、フィレンツェとローマに絞って1週間ぐらい観光した。これがもう、人生のハピネスはここに全部集まってしまったのではと錯覚するほど楽しくて、僕は今すぐあの日々に帰りたい。イタリア語は僕の性に合っていたらしく、旅の会話帳を手にしながらレストランで注文するのが快楽になってしまった。「イル・コント・ペル・ファヴォーレ!(お会計をお願いします!)」ぐらいしか言えないのだけれども、イタリア語特有の明るい響きは僕の太陽のような心と響き合っていた……と思うことにしよう。フィレンツェで食べたTボーンステーキとローマのビスマルク(ピザ)は、自分史上最も美味と感じた食べ物だった。旅情と相まって、これ以上の食体験というものを僕はしたことがない。

 とまぁ、今までネット上では公表してこなかったことを綴ってみた。びっくりされた方もいらっしゃることでしょう。でも、僕の生態をX(旧Twitter)で観察していれば、うっすら気付くと思うのですが。正直、ここには(まだ)書けないことが山ほどあるのだが、冒頭の「愛の花」の一節を引いて、今回は終えよう。「涙は明日の為 新しい花の種」。あいみょん、良い歌詞書くなぁ。